心の闇

2



たくさんの秘密とわくわくを乗せて船は順調に航海を続けた。
「このぶんなら、明日の昼前には港に入れますよ。」
昼食を食べるため、食堂のテーブルの隅の椅子に腰掛けながら、ピエールがビアンカに告げた。ビアンカは陸路の間に食べる堅焼きパンを焼いている最中で、大きなテーブルの上には所狭しとパンが並び、香ばしい匂いが充満していた。
「昼前か…それまでに準備できるかな?」
「大丈夫でしょう。みんな必死で仕事していますし。」
ピエールが自分に近いところにあるパンを一つ取り上げようすると、ビアンカは「こっち食べて」とざるにのったパンを差し出した。
「あ、すみません。」
ピエールは騎士の手を伸ばしてそれを受け取った。それは焼きたてでまだ湯気を立てており、ピエールが触ると指の形にへこみができた。ピエールは二つほど取り上げ自分の皿に移した。
ビアンカの堅焼きパンは冷めてもなかなか美味しいが、焼きたてなら普通のパンに負けない味だ。ビアンカが初めてこれを、砂漠の旅の前に作ったとき、くいしんぼうのコドランが一気に7つも食べてしまい、腹痛を起こして大騒ぎになった。傷と違って食べ過ぎの腹痛はホイミでは直すことはできない。結局ビアンカが苦い煎じ薬を作り、みんなで無理矢理のませ、嫌がるコドランに火を吐かれて、リュカの前髪は砂漠の旅の間ちりちりとカールしていたのだった。
ピエールもこの堅焼きパンをかなり気に入っていたので、本当はもう少し食べたいところだったが、今夜のことを考えて少し控えめにしておいた。
「この調子で行けば、夕方までにはどちらも準備が終わると思いますよ。」
遠くで何かが破裂するような音が聞こえた。
「…マーリンが少々火薬の調合で手間取っている様ですが、他はほとんど順調ですからね」
ピエールが騎士の首をすくめながら、付け足した。ビアンカは声をたてて笑った。
「でも、こんなにうまくいくと、後でなにかありそうでちょっと恐いわね。」
「そんなことを言うと、魔を呼び込んでしまいますよ。」
ピエールがわざと神妙そうに言ったので、こんどはビアンカが首をすくめた。
ビアンカは次のパン種を仕込みに台所に戻ったが、しばらくすると血相を変えて食堂に飛び込んできた。
「リュカが、起きちゃったって!」
「え?もうですか?」
ピエールは、とりあえず手に持っていたスプーンを皿に置いた。
「でもまだ、昼ですよ?」
「昼でもなんでも、起きちゃったのよ。どうしよう、台所見られたら困るのよ〜!」
戦闘の時は比較的冷静で柔軟性もあるビアンカだが、意外と日常のこのような突発的な事件に弱いのだ。こんな風にあわてているビアンカもなかなかかわいいものだとピエールは思ったが、ゆっくり鑑賞している暇はなかった。
「ビアンカがここから呼べばいいんですよ。こっちにきたら、私が引き留めます。」
「そ、そうね、そうよね。」
ピエールの冷静な声でちょっと落ち着いたビアンカは、深呼吸をしながら食堂を横切ると、ドアを薄く開けて廊下を覗いた。しばらくそのまま固まっていたが、やがて一度ドアを閉め、改めて廊下に出た。
「あら、リュカ。起きたの?」
リュカは台所のドアのすぐ側にいたが、ビアンカを見つけると、ピエールが言ったとおり台所を素通りし、ビアンカのところにやってきた。
「うん、やっぱりおなかが空いて…なんかある?」
「スープができてるわ。入って。」
ビアンカは緊張して声がうわずっていたのでピエールは少々ハラハラしたが、寝ぼけ眼のリュカは、あまり気にする様子もなく食堂に入ってきた。
ピエールは「おや、おはようございます。お早いですね」と言いながら、自分の隣の椅子をひいてリュカを誘導した。「ありがと」と言いながら、リュカはその椅子に腰掛け、大きなあくびをする。
「外を見ましたか?北の大陸がずいぶん近くなりましたね」
「見てこなかったよ。そんなに近づいた?」
「ええ。リュカは、今夜操舵当番でしたよね?ちょっと大変かもしれませんよ。大陸に近づくと、風が変わりますからね。」
「そうなの?なんで?」
ピエールが世間話でリュカの気を引いている間に、ビアンカがスープを持ってきた。リュカの前にスープとパン皿を置き、焼きたてのパンをのせると、自分の為の席をリュカの向かいにしつらえた。
「ずいぶんパン焼いたんだね。」
「もうすこし焼くつもりだけど、ゲレゲレのおかげで粉の残りが少ないから…ラインハットまではもたないんじゃないかな。ビスタかアルカパで、粉を買い足さなきゃ。」
ビアンカは平静を装おうと努力していたが、誰かが急にやってきて何か秘密がばれるような事をうっかり言い出さないかと気が気でなかった。その時、遠くで再びマーリンの火薬の音がした。
「あ!これ、何?」
「え?あの、えっと…」
「マーリンが火薬の試験をしているんです」
慌てるビアンカを取り繕うようにピエールが冷静に答えた。
「火薬って、火薬?なにに使うの?」
「武器か発破でしょう。」
「そうなんだ…でも、そんなのいるかな?ラインハットの辺りはそんなに強い魔物はいないよ。」
「いらないかもしれませんし、いるかもしれません。でも、武器が多いに越したことはないでしょう。別にラインハットに行くのに使わなくても、いずれ役に立つかもしれません。この先なにがあるかわからないですからね。」
「そうだね。」
リュカは神妙な顔で答え、食事を続けた。
ピエールのもっともらしい言い訳がおかしくて、ビアンカは笑いを必死でかみ殺していた。マーリンが作っている物は、武器とは対極にある物なのだ。もっとも、マーリンは既に武器として使える火薬の調合はできていたので、ピエールが言ったことは嘘ではない。マーリンは破壊力のある物、煙幕効果のある物、音と光ばかりが大きい物などを作り、火炎系の呪文が得意なビアンカに持たせていたのだ。
ビアンカの様子には気付かずに、リュカはスープの最後の一口をたいらげるとスプーンを置いて、ぽつりとつぶやいた。
「この音で、起きたんだよ。」
「あら、それは…困ったわね。」
そう言いながら、笑いが止まったビアンカはちらりとピエールを見た。ピエールはわざと視線をはずし、そっぽを向いている。ビアンカは、美しい眉を顰めると、カップにコーヒーを注いで二人の前に並べ、不快な感情を隠すことなく、素っ気なく言った。
「食べ終わったら、マーリン達の分のお昼を持っていってもらえるかしら?ここはパンを並べたら使えなくなりそうだから。それと、リュカはもう少し寝た方がいいんじゃない?今夜辛くなるわよ。」
そして返事を待たず、台所へ準備をしに立った。
「なんか…ビアンカ、怒ってない?」
ビアンカの後ろ姿を見送って、リュカが小声でピエールに言う。
「心当たりがあるんですか?」
「心当たりなんて……あるけど…」
ピエールの意外な返答に、リュカは一瞬考えて答えた。ここ数日の自分の言動を考えたら、心当たりがありすぎて困る状態だ。
「だったら、そうかもしれませんね。」
ピエールの言葉で、リュカはしゅんとした。少々可哀相かなと思ったが、マーリンに二人の関係には口を出さない方がいいと言われていたので、ピエールはフォローもせず黙っていた。それに、これでリュカが部屋に籠もってくれたら、今日の場合は、それはそれでよいのだから。
やがてビアンカがトレイにスープの壺と皿を乗せて戻ってきた。それをリュカにわたし、ピエールにはパンを入れたかごを渡す。
「持てる?大丈夫?」
「うん、大丈夫…」
リュカはいくぶん元気がなかったが、とりあえずここから彼を追い払うことしか頭になかったビアンカはリュカの様子を気に留めなかった。そして、二人が通れる様にドアを開けると、ピエールに向かって言った。
「マーリンに、よろしく、伝えてね。」
「わかりました。」
その『よろしく』になにが含まれているのかピエールはくみ取り、深く頷くと、よろよろと歩くリュカを追って廊下に出た。
二人が廊下の先を曲がったのを確認すると、ビアンカはドアを閉めた。
「がう…」
台所との間のドアの隙間から、ゲレゲレが顔を出し、小さく鳴いた。
「もういいわよ。こっちにいらっしゃい。」
ビアンカは椅子に座り、パンをちぎってゲレゲレに差し出した。ゲレゲレはそっと近づいてきて、パンの匂いを嗅ぐと、ビアンカを見上げた。
「大丈夫、あんたが起こしたんじゃないのはわかってるわ。知らせてくれてありがと」
ビアンカの笑顔を見て、ようやくゲレゲレは落ち着いた様子でぱくりとパンのかけらを食べた。
「まったく…体力があるっていうのも困ったものね。普通だったら夜まで起きなさそうじゃない?こういう日こそ、お部屋に籠もっていてほしいものだわ。サプライズじゃなくなっちゃうじゃないねぇ。」
ビアンカは、もう一切れゲレゲレにちぎってやりながら、ぶつぶつと文句を言った。そしてハッとして、慌てて台所に戻った。台所では次にオーブンに入れるパン種が大きく膨らみ、ボールからあふれそうになっていた。ビアンカは慌てて手を洗うと、パン種の空気を抜く。早くパンを焼き上げてスポンジにとりかからないと、他の料理が夕方までに間に合わないのだ。

つづく

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