心の闇

8



ちょっぴり千鳥足で部屋に辿り着いたリュカは、さきほどの愚痴はもうすっかりどこかへ消え去り、ご機嫌で日記を書きはじめた。本当はすぐにでもベッドに潜り込みたかったのだが、今日の事は書いておかなければいけないと思ったのだ。
改めて文字にして、いかに今日がすばらしい日であったのか、しみじみとかみしめた。
自分にとって、幼い頃の楽しかった想い出は『あの日』の前までのわずかな物だ。だからそのわずかな時間は何度も思い出し、大切にしてきたから、覚えていて当然だと思った。だがビアンカは、自分よりもたくさんの想い出があっただろう。それなのに、あんなに昔のささいな出来事を覚えていてくれた…
『惚れた相手の為でもなけりゃ、こんな大変なことはせんて』
「そうだよね、そうだよねぇ」
リュカはさっきのマーリンの言葉を思い出し、一人でにやにやしながら自分の思いを日記に書きつづっていた。
書き終えて、読み返し、また幸せに浸っているとき、背後で扉があく気配がして、リュカは跳び上がらんばかりに驚いた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
扉は一度強く閉められ、そしてそっと開かれ、隙間から金色の髪が見えた。
「び…ビアンカ?」
リュカは椅子から立ち上がり、日記を閉じて後ろ手に隠した。
ビアンカは扉の隙間から、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい!まだ、甲板にいるのかと思ってて…」
「あ、うん、ごめん、大丈夫だよ!」
そっと日記を引き出しにしまうと、リュカは歩いていって扉を開けた。
「ノックしないとびっくりするって、僕もよくわかったよ。」
「ほんとにごめんなさい…」
ビアンカは上目遣いにリュカを見ながら言った。そのしぐさにリュカの心拍数は跳ね上がった。
「うん、いいんだよ、ほんとに。僕こそ、びっくりさせてごめんね。うん、あの、マーリンとピエールがね、ほら、僕と当番変わってくれて、それで、明日は早いから寝なさいって言われて、だからもう寝ようかと思ってね、うん。」
どきどきして妙に饒舌になったリュカは、あらぬ方向を見ながらとんちんかんなことをまくし立てた。
「それでね、さっき、戻ってきたんだよ、つい、さっきね。うん、あの、ビアンカは?まだ寝ないの?」
言ってしまってから、リュカは真っ赤になった。
(何を言ってるんだ僕は!きっとビアンカあきれてる!)
恐る恐るビアンカを見ると…彼女は予想に反して、耳まで真っ赤になっていた。リュカと目が合うと彼女はそっと目を伏せて、小さい声で答えた。
「わたしも…あと、火の始末をしたら、終わりだから…」
そのまま二人は二人とも、相手がしゃべり出すのを待っていた。
しばらくして、すっかり舞い上がっていたリュカがやっと戻ってきた様子で、先ほどよりは少々落ち着いた調子で話し出した。
「あの…今日は……どうもありがとう。」
ビアンカはうつむいたまま、こくんと頷いた。
「ビアンカが覚えていてくれなかったら、僕はずっと誕生日がわからないままだったよ。それに、誕生日のお祝いなんて、何年ぶりだろう…」
「何日かわからなくて、ごめんね」
ビアンカは小首を傾げ、ちょっと肩をすくめてリュカを見上げた。
リュカはふたたびどきどきしたが、今度はなんとか舞い上がらずにふんばった。
「ううん、ビアンカが、覚えててくれたっていうだけで充分だよ。それに、あんなにご馳走作ってくれて、みんなもいろいろしてくれて、こんなにうれしいことって…結婚式以来だよ。」
「ほんと?よかった!」
ビアンカは久しぶりに、春の日溜まりの笑顔をみせた。
「喜んでくれてうれしいわ。わたしより、みんなの方が頑張ったのよ。」
一生懸命話すビアンカはなんだか可愛くて、まるで8歳の少女の様に見えた。
「出港の準備もあったし、リュカに秘密でなんて無理だって私は思ったんだけど、みんな絶対大丈夫だっていってね。みんな、リュカのことが大好きなのね。」
リュカは「ビアンカは?」と聞こうとしたが、彼の言葉より早く、ビアンカが言った。
「サンチョさんも…どこかで、お祝いしてるかな…」
(……サンチョ!)
リュカは心の中で、がっくりと膝をついた。
確かに彼もサンチョの事は気になっていた。サンチョの心遣いはうれしかったし、サンチョのおかげでビアンカもリュカの誕生日のことを覚えていたのだから、どんなに感謝してもしきれないし、いつかまた彼に会いたいといつも思っていた。
しかし…なにも今出てこなくても!
リュカの心の叫びがわからないビアンカは、黙ってうつむく彼をみて、彼もサンチョのことを考えているのだろうと思った。
「大丈夫よ、きっとまた会えるわ。そしたらわたし、ケーキの焼き方教えてもらって、今度はもっとおいしいのを作るわね、サンチョさんと一緒に!」
「うん、でも、今日のケーキだって、サンチョに負けないくらいおいしかったよ」
サンチョのおかげで心拍数が戻ったリュカは、そこで初めてビアンカが大事そうに水差しをかかえていることに気付いた。
「どうしたの?それ?」
「ああ、これ…あなたに。のどが渇くかな、と思って。けっこうお酒飲んでたでしょ?」
ビアンカは「はい」と水差しを手渡した。
「そうだねー、そういや、飲みたいかなー」
すっかりトーンダウンしたリュカは、間の抜けた答えした。水差しをうけとり、しばらくそれを見ていてから、リュカは言った。
「コップは?」
ビアンカは水差しと、自分の両手を見て、はっとした顔をした。
「ごめんなさい!持ってくる!」
そしてくるりと背を向けると、ぱたぱたと部屋を出ていった。
取り残されたリュカはがっくりと肩を落とし、ため息をついた。
「なにやってんだろうな、僕は…」
そこにぱたぱたと軽い足音が戻ってくる。
ビアンカはひょこんと頭だけ覗かせて、言った。
「あのね、火の始末して、コップ持って、すぐ戻ってくるから…待っててね」
言い終えると真っ赤になり、またぱたぱたと駆けていった。

今度はリュカは、跳び上がらんばかりに喜んだ。




台所の扉は開いていて、中の騒々しさが廊下まで響いていた。ビアンカは、嫌な予感がした。彼女のこういう予感は、昔からよくあたるのだ。
そっと台所を覗くと、スミスとスラリンが言い合いをしていた。ビアンカはため息をつくとあきらめて台所に入った。
いち早くビアンカに気付いたパペックが、何かを訴えたそうにくるくると腕を回しながら近づいてきた。
「今日はお疲れさま。当番ありがとう」
パペックはどういたしまして、というようにくるりと首を回して見せた。だがそれでは済まないようで、再び腕を回し始めた。
「スミスとパペックのケーキがないんだって!」
ポンポンとはずみながら、スラリンが答えた。
「おいらが食べたんじゃないよ!ゲレゲレとメッキーとおいらは、一緒に甲板にいたんだ!」
「大丈夫よ、わかってるわ。」
犯人の見当はついていた。だが今犯人を追及したとしても、ケーキは出てこないだろう。
「け、けーき……た、た、たのしみに…して、て…たんだ……」
スミスはそうとうがっかりした様子で言った。
他のご馳走はちゃんと残っているから、と言っても彼らは納得しないだろう。
こうなると簡単には収集がつかないことをビアンカは既に学んでいた。
ビアンカは頭の中で食料の在庫量を考えた。粉の残りを使ってしまっても、ビスタで買えば問題ないだろう。堅焼きパンがあるから、入港が遅れたとしてもなんとかなる。
問題はリュカが待っていることだが…仕方ないだろう。
ビアンカは、腹をくくって言った。
「心配しないで。今から作れば、お夕飯を食べ終わるまでに焼き上がるわ。」
「び、び、ビアンカ…け、けーき…つ、つ、つく…るのか?」
「そうよ。二人とも、パーティに出ないで当番してくれたんだもの。」
「…や、や、やった…けーき…!」
パペックもうれしそうに頭をまわした。
ビアンカは、スラリンとメッキーの羨ましそうな視線に気が付いた。
「あなた達も、味見したい?」
「いいの!」
スラリンは大きな目をもう一回り大きくして言った。
「うん、ちょっとだけならね。」
(リュカ、ごめんね)
ビアンカは心の中で言った。


つづく

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