乙女の苦悩

ベッドの上には、レースとフリルがふんだんに使われた上品なデザインのベビードールやナイトドレスが並べられていた。唯一おとなしげに見える、豪華な刺繍が施されたシルクのネグリジェも、襟ぐりが大きく開き、胸元のリボンをほどくだけで簡単に滑り落ちてしまうようなデザインだ。
一緒に届けられた手紙には、きれいな字でこれらを選んだいきさつが、楽しげに書いてある。

『ネグリジェの刺繍は、わたくしが修道院にいたときにした物です。ぜひビアンカさんに着ていただきたいと思い、慌てて仕立ててもらっています。これができあがり次第荷物をポートセルミに送る予定です。出港に間に合うといいのですが。
他の物は、母と一緒にお店に行って選びました。一人で行くのがちょっと恥ずかしかったのです。でもいざ行ってみたら、恥ずかしい事なんて全くありませんでした。こんなことでも、やってみないとわかりませんね。
どれも素敵で、困ってしまいましたが、母のアドバイスで新婚さんに向いた物をいくつか選んでみました。お気に召すかどうかちょっと心配です。サイズはドレスを縫った方に見ていただいたので、大丈夫だと思います。
空色のベビードールが、わたくしのおすすめです。ビアンカさんの瞳の色に似ていると思いません?きっとお似合いだと思います。
わたくしもお揃いで欲しかったのですが、残念ながらわたくしには青は似合わないので、かわりに同じデザインでピンクを注文いたしました。仕上がりが楽しみです。母が、使う予定もないのに、と笑いましたので、わたくしは、誰かの為でなく自分の為に着たいのだからいいのです、と申しました。でもビアンカさんはぜひ、リュカさんに見せてくださいね。これなら幼なじみの壁も簡単に崩れると思います。』

「フローラさんって・・・奥が深いわ。」
ビアンカはそうつぶやくと、陽気な手紙をパサリとベッドに置いた。
小さな頃に憧れていた、華やかなレースやフリルやシルクに囲まれても、彼女の心はちっとも晴れない。彼女はその中に倒れ込むと、深いため息をついた。
いったいどこで間違った方に曲がってしまったのだろう。
「ぜーんぶ、リュカがいけないのよ。」
自分の言動を棚に上げ、ビアンカは腹立たしげに言った。いや、八つ当たりなのはわかっている。わかっていても、こんな時どうしたらいいのか皆目見当がつかず、やはり怒りの矛先を、もう一人の関係者に向けるしかなかったのだ。

ビアンカは悩んでいた。
テルパドールを探すため、南の大陸に上陸した頃からずっと、2週間以上悩んでいた。
実はその前から、はっきり悩みと自覚はしないが心にひっかかっていたので、それを含めたらもう一月半以上悩みっぱなしなのだ。
元来が、白黒はっきりさせたがりで竹を割ったような性格の彼女は、悩まなければならない事があるという事以上に、この年頃の女の子にありがちではあるが、自分ではあまり経験がない「ずっと悩みを抱えている」という状況にすっかりまいっていた。

「こういうのって、苦手なのよ。あーもう!」
そういって、上質のシフォンに顔を埋めた。ふんわりと、よい香りがする。荷物の中に入っていた匂い袋の香りだ。
 −−−そういえば、フローラさんもいい匂いがしてたな。
香水や、ひらひらふわふわしたものとは無縁の生活をしてきたビアンカにとって、今更こういう物を身につけたりするのはなんだかなじめなかったし、まるで自分ではなくなってしまうような気がしてすんなり受け入れられなかった。

それに、二人の問題なのに自分だけが悩んでいるというこの理不尽な状況でそんな事をするのは、まるで自分の負けを認めるようでできない。別に勝負をしているわけでもないのに負けず嫌いなビアンカは、考えすぎてそんな妙な意地にとらわれていた。
しかし、自分がリュカを好きだという事に、そしてリュカにも幼なじみということでなく、女性として好かれたいと思っている事に気付いてしまってから、なんだか既に彼に負けている気がして、これ以上負けるわけにはいかないと意固地になっていた。



最初から彼女もこんなに悩んでいたわけではない。
結婚式の夜も、その後の馬車での港までの旅の日々も、そんな状況ではないのはわかっていたし、ポートセルミでリュカが酔いつぶれてしまったときは、まだ旅にも戦闘にも不慣れな自分が同行してるからいつも以上に疲れているのだろうと考えていた。
船旅が始まってからしばらくは、自分自身が仕事や環境に慣れるので精一杯であった。
でも、初めてこの船に乗ったとき、一緒の部屋でいいかとリュカに聞かれたときは、ちょっと緊張したし、覚悟もした。
しかし・・・気が付けば、リュカとは何もないまま1ヶ月が過ぎていた。

結婚したらなにをするものなのか。結婚の経験がないビアンカでもそれくらいは知っている。アルカパにいるころにはすでに、そろそろそういうことに興味を持つ「お年頃」であったため、女友達とそんな話をしたり、彼氏ができたり早く結婚した仲間の体験を聞いてドキドキしたりした。山奥の村に移ってからも、そんな罪のないおしゃべりをする女友達もいたし、宿の仕事を手伝えば、年上の女中達のあけすけな女同士のうち明け話や悩みを耳にする機会もあった。

すっかり耳年増になってしまった彼女だが、残念ながらそういう知識だけでは応用が利かずこういう場合あまり役に立たない。
それに彼女は決定的に、経験値が不足していた。
別にリュカに義理立てしていたつもりも、若い女の子にありがちな理想が高すぎて現実の男性では満足できなかったというわけでもない。男性とつきあったこともあったが、そういう関係になるほどのめりこめる相手が現れなかっただけだ。だが仮にもっと経験があったとしても、今の状況に役に立ったとはあまり思えない。
とにかく今のビアンカでは、いくら悩んでも答えが出せないことは、もう自分で気付いていた。
しかしだからといって、リュカに相談するなんて・・・できるわけない。

相談して、拒絶されたり、はっきりその気はないと言われることを、ビアンカは恐れていた。
結婚して欲しいと言ったのは彼なのだから、そんなことはないだろうとは思っている。
しかし・・・一緒にいても、何もしようとしない彼。
もしかしたら、妻としてでなく、家族として一緒にいたかっただけなのでは?
一緒にいてみて、やっぱり妻として好ましいとは思わなくなった?
それとも、結婚した夫婦がどうするか、知らないなんて事は・・・・あるだろうか?

年頃の男の子達があつまったら、どんな話をしているのかビアンカもわかっている。しかし奴隷という特殊な環境にあったら、それどころではなかったのではないか。でも、結婚式の時に会った、ずっと一緒だったというヘンリーを見ると、まったくその手の会話がなかったとは思えない。
しかし、あのリュカのことだ。周りの人がそんな話をしていても、全くわかっていない、という可能性がないとは言えないのかもしれない。
もしかしたら本気で、赤ちゃんはコウノトリが運んでくると思っているかもしれない。

数日前。
夕飯の仕度の最中、手伝っていたスラリンがビアンカの悩みをまるで見透かした様なことを聞いてきた。
「ねぇ、ビアンカ。赤ちゃん、いつできるの?」
ビアンカは危うく左手をざっくりと切り落としそうになった。
スラリンの質問にひやかしとかそういう他意がないのも、本当に赤ちゃんを楽しみにしてくれていることもわかった。しかし・・・自分の両親の様にどこかから拾ってでもこないかぎり、今のところそんな予定は全くないのだ。
とっさにリュカに聞いてみてと答えてしまい、彼女は慌てた。
しかし、「じゃあ、聞いてくる」と言って台所を出ていくスラリンを呼び止めなかった。
 −−−リュカは・・・なんて答えるだろう。
彼女は、ちょっとした賭けに出たのだ。ずるいことをしているという罪悪感はあった。でも、これがきっかけで、リュカがなにか動いてくれたら。ビアンカはかすかな望みを抱いてスラリンが戻ってくるのを待った。
スラリンはすぐに戻ってきた。そしてビアンカが聞くまでもなく、リュカの反応を報告してきた。
「なんか慌てて、ビアンカはなんて言ってたのか聞いてた。忙しくて、疲れてるんだって。」
「そう・・・そうなの、忙しいよね、みんな。」
慌てていたとは、どう受け取ったらよいのだろう?
リュカも気になっていたのだろうか?それとも、聞かれたくないことを聞かれたから?
忙しくて疲れてるというのは・・・やはり、私が一緒にいる分、彼に負担をかけているんだろうか。疲れているときに、こんなことをしてしまって、どうしよう。
もし彼がこのことを気にして、もっとぎくしゃくしてしまったら。
リュカの事だ。私の事が嫌になっていたとしても、はっきりそんな事を言うはずがない。なんて馬鹿なことをしてしまったんだろう。
どんな顔をして彼にあったらいいんだろう。
だが、その心配はなかった。リュカが夕飯の席に現れなかったからだ。

幸いリュカは、軽い熱中症の様であった。そんな状態になるまで外にいたのは、やはり自分のせいだろう。馬鹿なことをしてしまった。ビアンカは後悔した。しかしそれはもしかしたら、自分とのことを考えていたからかもしれない。下手に期待したら、そうでないときがっかりするんだから、と自分に言い聞かせながらも、ビアンカは淡い期待を抱いていた。
部屋に食事をもっていくと、リュカは起きていた。
寝ているだろうと思っていたビアンカはどうしていいのかわからず、ついいつもの様に説教めいたことを言ってしまった。リュカは聞きたくない、という様に布団をかぶっている。
「水分だけでもちゃんととってね。脱水がなおらないわ。」
そう言って部屋を出ると、廊下でそっとため息をついた。
彼の反応・・・あれはきっと、あんなこと言う自分にうんざりしているんだ。
罪悪感と自己嫌悪で、ビアンカはどこかに逃げてしまいたかった。だがそういう訳にもいかない。船旅ってこんな時、なんて不便なんだろう。

夜中になっても、リュカの微熱は続いていた。
仕事を抜けてきたビアンカは、水差しがからになり、夕食が少し減っているのを見てほっとした。
額のタオルを変えると、ベッドの側に置いた椅子に腰掛けた。
リュカの寝顔を見るのは、とても久しぶりな気がする。船では寝室で会うことがなかったし、野宿の時は、自分を休ませ、彼はいつも火の番をしていて起きているからだ。
夜中に彼女が目を覚ますと、炎の向こうでなにかを考えている彼がいる。そして自分と目が合うと、あの優しい笑顔を見せてくれる。
船にいるときだって・・・守られるのは嫌だといいながらまだ弱い自分のために、いつも後ろで見守ってくれている。仕事に不慣れな自分のことをいつもカバーしてくれている。一人でつっぱしってしまって、振り向くといつもリュカがいてくれる。あの大好きな笑顔で自分を守ってくれている。
彼はいつの間に、こんなに大きく、たくましくなったんだろう。べそをかいて、後ろから自分の名前を呼びながらついてくる小さな男の子だったはずなのに。
リュカが寝返りをうつ。額からタオルが落ちた。日に焼けた太い腕、傷跡だらけのたくましい身体。まるで、知らない男の人みたい。自分が知っている小さな男の子は、もういなくなってしまったのかも・・・。

枕に落ちたタオルを取り、リュカの額にそっと乗せると、リュカの目が開いた。
「・・・あ、ビアンカだ。」
そう言って見せた笑顔は、ビアンカが大好きな、あの頃のままの笑顔だ。リュカが気が付いたのと、捜し物が見つかったような気分とで、ビアンカはほっとした。
濡れタオルをとり、リュカの額にそっと手を置く。リュカの額は、まだ少し熱い。
「熱、ひかないね。気分はどう?」
「・・・うん、さっきより楽になった気がする。」そして目をつぶり、つぶやいた。「ビアンカの手・・・冷たくて、気持ちいい。」
「まだ熱があるからでしょ。」
「そうかな?」
「そうよ」
ビアンカは、ぼんやりと返事をしていた。
 −−−リュカが具合悪くなったのは、わたしのせいかもしれない。あやまらなくちゃ。それに・・・リュカは甲板でずっと、なにをしていんただろう。スラリンに聞かれてどう思ったんだろう。
だがなかなかきっかけがつかめず、リュカの額に置いた手も、会話もどうしていいのかわからないまま、無難なやりとりを続けた。
「あまり、無理しないでね。ただでさえ私が迷惑かけてるんだし。」
「迷惑なんて、してないよ。ビアンカ、いつも美味しいご飯作ってくれるし。」
「私にできることって、それくらいだから」
「それくらいじゃないよ!ご飯は大切だよ!」
リュカが急に起きあがったので、ビアンカは驚いた。
「みんな毎日ご飯が楽しみって言ってるし、ご飯が美味しいと元気がでるし・・・」
「わかった、わかったから。ほら、まだ横になっていた方がいいわ。熱があるんだし。」
「うん」
「私と会う前は、どんな食事してたの?」
「ヘンリーが一緒だった時は、ヘンリーが作ってくれてた。ビアンカには全然かなわないけど、ヘンリーのご飯もけっこう美味しかったんだ。」
「ヘンリーさんって、王子様なんでしょ?でも、お料理するの?」
「ヘンリーが言うには、美味しい物食べて育ったから、舌が・・・舌が・・・」
「舌が肥えてる?」
「そう、それ。だからうまいんだって言ってた。そういわれた僕なんて、父さんが野宿で作る食事食べてたから、ぜんぜん駄目なはずだよ。」
「おじさまの食事って・・・駄目なの?」
「今思えば、おなかいっぱいになればそれでいいって感じだったよ。宿に泊まる時とか、すごーくうれしかったの覚えてるもん。」
「へぇ・・・ちょっと、意外」
「何で?」
「おじさまって、なんでもできそうな気がしたから。」
「何でもできるのは、サンチョの方だよ。」
たわいない会話は続いた。聞きたいことが聞けずもやもやしてはいたが、ビアンカはこの会話を楽しんでした。この前、こんな風に話をしたのはいつだろう?船旅が始まる前?
滝の洞窟に行ったときは、水門に戻ったらお別れと思い一生懸命話しもしたが、今はそういうタイムリミットがないこともあり、特に最近は、ろくに話をしていなかった気がする。
確かに、二人の間にコミュニケーションが足りないのは事実だ。
旅に必要な相談以外の話をするのがこんなに楽しいことを、ビアンカはすっかり忘れていたのに気付いた。彼といろいろ話をすることで、自分が知りたくない彼の気持ちに気付くのが恐かったのだ。でも、話をしないから、彼の考えていることがわからずイライラしてしまうのかもしれない。

リュカは翌日にはすっかり回復した。しかしその後の彼はまた以前と変わらぬ態度だし、結局、何も変化はなかった。
ビアンカは、忘れていたことを思い出したという収穫はあっても、ちょっと期待していた分、元通りの状態にがっかりしていた。
それに・・・
「私は、リュカにとってなんなんだろう・・・」
再度何かきっかけ、と思っても、思いつかないし、またリュカが倒れる様なことがあったらと考えると、あまり思い切ったことはしたくない。
港に着くまではまだかかる。それまでに、今のような関係が定着してしまったら、そこからそれをひっくり返す事なんてできないかもしれない。夫婦になるまえに家族になってしまって、そのまま年を取っていくんだろうか・・・

結婚した頃なら、それはそれで悪くないと思っただろう。しかしリュカを意識してしまった今は、家族としての愛情だけでは物足りないことはわかっていた。
 −−−でも、私がこんな事考えているってわかって、もしも嫌われたら・・・
結局ビアンカはこの騒ぎの後も、答えを見いだせないままだった。



 −−−リュカはいったい、今の状況をどう思ってるんだろう。
ビアンカは起きあがり、フローラがおすすめという空色のベビードールを手に取った。細い糸で丁寧に編んであるレースで縁取られ、タフタのリボンがアクセントになっている。
ビアンカは鏡の前に立つと、それをあわせ、くるりと回った。
「どう?リュカ、似合う?・・・な〜んてね、できるわけないじゃない、いまさら。」
その時・・・
ガチャリ
ノックもなしにドアが開いた。ビアンカがドアを見ると、そこにはリュカが立っていた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
おなかの底から悲鳴を上げると、ベビードールを後ろに隠す。
ドアまで走り、リュカを突き飛ばし、ドアを閉めた。そしてドアノブを両手で押さえると、「ノックしてよ!バカ!」と叫んだ。
今の見られたかしら。リュカ、なんて思うだろう。
ビアンカの心臓は口から飛び出してしまいそうなほど激しく脈打っている。顔が真っ赤になっているのが、自分でもわかった。
ドアノブを押さえたまま、ドアの外に耳を澄ます。
リュカはぶつぶつ文句を言い、そしてそのまま立ち去った。
ビアンカはほっとため息をついた。そしてそれから、ハッと気付いた。
もしかして、今はある意味チャンスだったのでは?
フローラからもらったと言って見せたら、彼も意識するのではないか?
でも・・・それで、似合わないとか変とか言われたら、それこそ立ち直れない。
しっかりしていて戦闘も強いとは言え、ビアンカの心は同じ年頃の他の女の子と変わらず傷つきやすいのだ。
ビアンカは再びため息をつくと、まだまだ出番がなさそうなフローラの贈り物をきれいにたたんだ。
『思い切って話してみたら、一人で考えている時よりずっと簡単に話が進みました。』
「そうなるかなぁ。でも・・・思い切れないよ。あなたの方がずっと、勇敢だわ。」
フローラの手紙の言葉にそうつぶやきながら、ビアンカは贈り物と手紙を丁寧に箱にしまった。

おしまい

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