嵐の気配





昼下がりの台所で、ビアンカは泣いていた。その涙は止まることはなく、バラ色の頬に星のきらめきを添えている。ビアンカはその涙を拭こうとせず、眉間にしわをよせてぶつぶつとつぶやいていた。
「まったく、なんなのよ!勝手に怒って勝手に閉じこもって。言いたいことがあるなら言えばいいじゃない。最近ずーっとヘンなんだから。私が心配しないとでも思ってるの!!」
そういうと勢いよく手にした包丁を振り下ろした。最後のタマネギが見事にまっぷたつになる。それをまたざくざくと切ると、既にタマネギが山を築いているボールに放り込んだ。これだけを見ると、彼女の涙の原因はタマネギにあるようだが、実はそれは逆だった。勝ち気な彼女はめったに他人に泣き顔を見せない。彼女がタマネギを山積みにするときは、それを涙の口実にするためであることを知っているのは遠く山奥の村に住む彼女の義父と、そこに眠る義母だけだ。義父は、そしてたぶん義母も、彼女がやっと巡り会ったパートナーとタマネギを使わなくても涙を見せられる関係になってほしいと願っていたが、20年間彼女を見てきただけに、そして相手の性格も少なからず知っているだけに、ちょっとやそっとではその願いは叶わないだろうとも思っていた。
そんな義父の思いなどビアンカは知る由もなく、タマネギを油を熱した大鍋に放り込むと、勢いよく炒めながらまた涙を流した。いつも料理の手伝いをしてくれるガンドフ達はこういう料理の日は台所に立入禁止になっている。以前、こういう事とは関係なくタマネギを使う料理を作った時に、あの大きな目にしみて大惨事になってから、ガンドフは生タマネギを見ただけで逃げ出すし、他の仲間は力仕事の戦力にはならないのでまとめてご退場願っているのだ。だから今日は夕方まで台所には誰も来ないだろうし、誰か来たとしても目の前に言い訳が山盛りだ。ビアンカは誰にはばかることもなく、大粒の涙を流しながらリュカの態度に文句を言い続けた。
だが、本当のビアンカの涙の原因はそこだけではない。
彼女をこんな風に情緒不安定にさせているのは、彼女の中の不安と寂しさだった。

旅をはじめてからリュカとの距離がどんどん広がっている気がしていた。それに加えて慣れない環境、上達しない魔法や技、自信の喪失、先の見えない旅。それぞれは小さな不安であっても、胸の中に蓄積していく一方で消えることがなければ大きな不安になる。だがリュカはなんだか最近機嫌が悪くそんな相談などできそうにない。彼女はそんな気持ちを一人で抱えているしかなかった。
そしてもう一つ・・・
仲間達は見た目からは想像つかないほど優しい気持ちの持ち主達だし、彼らがときどきやらかすいたずらやトラブルは、緊張が続く旅と戦いにちょっとした笑いを作り、腹が立つことはなかった。それでも、所詮彼らは・・・リュカさえも・・・彼女の気持ちを気軽に愚痴ったり、相談したりできる関係ではなかった。彼らはビアンカをとても大切にし崇拝しきっている。常に彼女が心地よく過ごせるよう自分にできることならなんでも、いや、できないことさえも彼女のためならやってやろうという連中だ。彼女は軽い気持ちで言ったとしても彼らは早急に解決しなければならない重大な問題ととらえ大騒ぎになるだろう。
彼女が抱く漠然とした不安を、うまくいかない夫婦の関係を、迷いや焦りを、聞いてくれる相手が欲しかった。具体的な解決策が示されなくてもいい。愚痴を言い合い、相手の言葉に共感し、話したらあとはすっきりするようなおしゃべりがしたい。慰め、労って欲しい。義父や友達と思う存分しゃべりたい。つまり、ビアンカは今、ちょっとばかり人恋しくて、ホームシックにかかっているのだ。しかし、山奥の村はここからは遠すぎる。旅を焦っている訳ではないが、せっかくつかみかけたパパスの事を早くはっきりさせて、目的地を定かにしたい。だからホームシックだなどとは口が裂けても言えないのだ。

魔法や技の特訓は自己嫌悪を増強してしまうので、とりあえず彼女は泣くくらいしか、このストレスを解消する方法が見つからなかった。

夕飯は、ビアンカのストレスがたっぷり詰まっていても誰も気が付かない程上出来だった。だが食卓は、なんだかぎくしゃくしていた。みんな昨日リュカが突然怒り出したことを気にしていた。今日の彼は、昨日の事の説明も謝罪もしないが、不機嫌な様子も見せず普通を装おうとしていたので、みんなも昨日の事には触れないようにしていた。しかし、リュカは普通にしていると思っていてもやはりぎこちなさは隠せない。おまけに今日はビアンカが不機嫌だ。彼女はリュカよりもう少し大人だったので、そういうそぶりは見せなかったが、人間よりも敏感な魔物達は彼女のピリピリした雰囲気にすぐに気付いた。みんなどちらのことも刺激しないよう会話の内容をえらび、行動に気をつけていたので、結果として会話は食卓の上を滑っていき、みんなお皿を綺麗にすると早々に、片付けを手伝うガンドフを残して食堂を後にした。
魔物達は船のあちこちでコソコソと個別に対策を検討していたが名案が思いつくわけもなく、結局、リュカが元に戻り、ビアンカの怒りが収まるのを待つことになった。

「はぁ・・・・」
台所仕事を終え、他にはさしあたってしなければならない仕事はもうないのだが、リュカがいる部屋になんとなく戻りにくいビアンカは、一人で船首に座り何度目かのため息をついた。最近ため息が増えた気がする。ため息の数だけ幸せが逃げるとかしわが増えるとかいう話があるが、今はそんなことはどうでもいい。今の状況を変えなければならないことはわかっているが、気ばかり焦って何も思い浮かばない。おまけに昼間たくさん泣いたので、ビアンカは疲れきっていて、何も考えられなかった。
まだ残っている入道雲が月に照らされ刻々と形を変えている。やがてずんぐりとしただるまの様な形になった。
「なんだか父さんのおなかみたい・・・」
自分のつぶやきに自分でびっくりしたビアンカは、ホームシックを追い払おうとぶんぶん頭を振ったため、おさげの先が思い切り顔に当たり涙目になった。じんじんする頬を押さえてまたため息をつく。
「父さんと思っているから父さんに見えてくるんだわ。他の人だと思えばいいのよ」
涙がこれ以上出てこないように、ビアンカは雲の擬人化に専念することにした。
「あんなおなかって言ったら、ルドマンさんとか・・・サンチョさんとか・・・」
ビアンカは再び、自分の言葉に驚いた。サンチョのことを忘れた訳ではない。でももう長く、彼のことをこんな風に思い出すことはなかった。
「何だろう、私。本当にどうかしちゃったのかな・・・」
一度考え出すとなかなか止まらないのは自分の悪い癖だとわかっている。なにか違うことを考えようと思ったが、ぼんやりした頭に浮かぶのはもう12年も会っていないサンチョの姿だ。ケーキを焼いたりお料理をしたり、お裁縫も上手なのになぜかぬいぐるみはとんでもない物をつくったり。とうとうビアンカは観念して、サンチョの想い出にひたることにした。留守がちであったリュカやパパスに比べ、ずっと村に留まり、ビアンカの家に泊まったこともあるサンチョのことは、なかなか想い出しがいのある量だった。サンチョは子供にも大人にも好かれる性格だった。今になれば彼がどんなに大きな秘密を抱えていたのか、そしてただのお手伝いさんではなかったことがすこしだがわかる。だがあの頃はただのやさしくておもしろいおじさんだった。大人も子供も区別することなく、いつもにこにこして話を聞いていた。
「こんな時、サンチョさんがいてくれたらな・・・」
ビアンカは心の底からそう思った。サンチョが相手ならきっと愚痴も文句を言えるだろうし、相談もできるだろう。リュカとの事もなんとか取り持ってくれそうな気がする。もちろん、ずいぶんリュカに肩入れするだろうけれど。
「サンチョさんなら・・・どうすだろう」
ビアンカはまだぼんやりする頭をフル回転させて、サンチョの想い出をたどっていた。
面倒見の良いサンチョは、想い出の中であってもこんな状態の『大事なぼっちゃんとかわいいビアンカちゃん』を放っておけなかったのだろう。
やがてビアンカはある一つの想い出に辿り着いた。

翌日、船の中は『秘密』が満ちていた。あちこちで策略がはりめぐらされ、台所の前には常に見張りが立っていた。リュカは仲間達にいろんな用事を頼まれ走り回っていた。冷静に考えたらなにかあることに気付きそうだが、リュカはまだぼんやりしていたのですっかり仲間達の罠にはまっていた。『上陸の準備』の名目で、リュカは船の修理から在庫チェックから馬車の幌がけから荷造りからあらゆる仕事をこなしていき、最後の仕上げは夜の見張りの交代だった。「一昨日の夜はビアンカがリュカの代わりにやったからね。今日の当番と交代だって。」伝言係通訳のスラリンが、本来の伝言係コドランの背に乗ってほくほくとしながら告げた。リュカはもう疲れて本当は寝たかったのだが、そう言われては断ることはできない。自分の着替えをトランクに詰め込みながら、「わかった。」と言葉少なに答えた。コドランは無事に自分の役目が終了したので満足そうに小さな炎を吐き、スラリンを乗せたまま部屋を出ていった。
一人になって、そう広くない部屋を見回すと、もうすでにビアンカは荷造りを終えたようで、彼女のトランクなどが部屋の隅に置いてあった。そういえば今日は食事の時以外は彼女と会っていない。食事時でさえ、彼女は自分が食べ終えるとさっさと席を立って、台所へと戻っていってた。いつもはみんなが食べ終えるまで待っているのに・・・。もしかしたら、もしかしなくても、避けられているのかもしれない。一昨日の事をまだ謝っていないから怒っているのかも。いや、単にビアンカも忙しいだけだ。僕だってこんなに忙しいんだし。リュカがトランクの前で腕を組み、自分の世界に埋没していると、ぱっと目の前に、霞がかかったように白くけむるビアンカの幻が現れた。ほら、ビアンカの事ばかり考えているからこんな幻を見るんだ。やっぱり謝ってすっきりした方がいいんだ。でもなんて言ったらいいんだろう・・・。幻の青い瞳は責めるようにじっとリュカを見ている。ずいぶんはっきりした幻だな。そこまで考えたとき、ビアンカの幻はすっとその白い手を伸ばし、リュカの鼻をつまんで言った。
「もう、リュカったら、聞こえないの?」
「うわぁぁぁぁ!」
心の底から驚いたリュカは叫びながら後ずさった。
「の、の、ののの・・・・」
「ノックもしました。声も掛けました。気が付くまで待ってました!」
ビアンカは腰に手を当て、明らかにむっとして立っている。幻覚に見えたのは、全身が何かの粉に紛れているかららしい。彼女も、彼女の足下に立つゲレゲレも、うっすら白くなっている。
「あ、ご、ごめん。考えごとしてて・・・どうしたの?」
「ゲレゲレが小麦粉の袋をひっくり返しちゃったの。5日以内に補給できなかったら、パンなしの生活になるわね。おかげで予定より早く台所の大掃除しちゃったわ。」
そう答えるとビアンカはリュカに背を向け、自分のトランクを開けて着替え探し始めた。リュカがなんと言おうか考えているうちに、ビアンカはトランクを閉め、着替えを持つとくるりとリュカの方を見た。
「今夜の当番の話、聞いた?」
「あ、ああ、うん・・・聞いた。あの・・・」
代わりにしておいてくれてありがとうとかごめんねとか言おうと思ったのだが、リュカが言いよどんでいるうちにビアンカは「そ、よろしくね」と言い、さっさと背を向けて部屋を出ていこうとした。
「ああ、まってビアンカぁ!」
リュカの追いすがる様な叫びにびっくりして、ビアンカも後に続いてたゲレゲレも振り向いた。ビアンカは春の空の色の大きな目をぱちぱちさせてリュカを見ている。何か言わなくてはと焦ったリュカは、自分の意図するところとは全然関係ないことを口走った。
「ど、どこ行くの?」
「どこって・・・お風呂よ。このままじゃいられないでしょ。ね?ゲレゲレ?」
ゲレゲレは当然だと言うように目を細めてしっぽを振った。おかげでしっぽについていた白い粉がかすかに舞って、ビアンカは小さなくしゃみをした。
「ね?ゲレゲレ・・・って、ゲレゲレと一緒に?」
ビアンカはけげんそうにリュカを見て答えた。
「だって、二人とも粉だらけなんだもの。一緒に入った方が早いでしょ。今日はわたしたち、忙しいのよ。」
一緒に?僕だってまだそんなことしたことないのに?リュカの頭の中は真っ白になり、すっかり最初に考えていた事を忘れ、そして・・・
「じゃ、僕も手伝おうか?」
彼の鼻先で、力強く扉が閉まった。
「・・・なにを言ってるんだ、僕は・・・」
いろいろなチャンスを逃した気がしてしまい、リュカはがっくりとうなだれて後悔した。
リュカはしらなかった。扉の向こうで、ビアンカもちょっとだけ後悔していたことを。

ビアンカは物凄い勢いで脱衣所に駆け込むと、へなへなと床に座りこんだ。
「だって・・・急に、そんな・・・ねぇ?」
これ以上はできないというくらい真っ赤になって、律儀に後に続いたゲレゲレを見た。ゲレゲレは楽しそうにごろごろと喉を鳴らしている。ビアンカは落ち着こうと大きく深呼吸をし、思いっきり小麦粉を吸い込んでしまいくしゃみを連発した。
やっとくしゃみと赤面が落ち着いて、ビアンカはつぶやいた。
「だってだって!ゲレゲレも一緒なのよ?」
・・・ゲレゲレがいなかったらよかったの?
ビアンカは改めて赤面した。そんなこと・・・だめじゃないけど・・・
「ああもう、今日は忙しいのよ!」
ビアンカは自分に言い聞かせると、もう余計なことを考えないようにしてさっさと服を脱いだ。

おしまい

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