白薔薇の娘

<白薔薇の娘 2話>
フローラは、修道院に続く細い上り坂を、ゆっくりと歩いていた。
修道院は見晴らしの良い小高い丘の上にぽつんと建っていた。
ちょうど夏の陽が、入道雲を様々な色に染めながら、海に触ろうかどうしようかと考え込んでいる瞬間だった。

フローラは、この丘の上からの風景を愛していた。
時間が許せば、丘に登り、修道院の庭のベンチから海に溶けていく夕日を眺めていた。
それはもしかしたら、フローラがもっと小さかった頃、夕日に見とれるフローラに修道院のシスターが語ってくれたお話のせいかもしれない。
『ほら、お日様が海に溶けていくわ。』
その若いシスターは、修道院に不似合いな明るい声と笑顔でフローラに語った。
『海に溶けたお日様はね、海の中で、今日あった嫌なことやつらかったことを全部洗い流して、
明日の朝は、新しくまっさらに生まれ変わって空に登るのよ。』
『海に溶けた嫌なことは、どうなるの?』
小さなフローラが尋ねると、シスターは遠くを見ながら眼を細めて続けた。
『天空にいらっしゃる龍の神様が、夜明け前にこっそり海に降りてきて、全部きれいにしてくださるのよ。
そうして、朝日と一緒にまた天空にお戻りになるの。だから毎日、空からフローラの事を見守ってくださっているわ。』
そのときふいにフローラの脳裏に、見たこともないはずの龍の神様と、空に浮かび地上を見守る天空城が、まるで見てきたように浮かんだ。
『・・・私は・・・知っている・・・龍の神様と天空のお城を・・・』
しかし、フローラはあまりにも幼かったので、すぐにそんなことは忘れてしまった。

フローラは、修道院の前まで来ると、海にとけ込む夕日の最後のひとかけらを見送った。
そんなフローラを、運命が窓から見ていることに彼女は気づかなかった。

「あの娘は・・・?」
ヒゲを蓄えたでっぷりとした紳士が、シスターに尋ねた。
その紳士は、そのヒゲと体型のせいで、もう中年にさしかかっているように見えるが、実はまだ年若く、世界中の取引先を自ら視察してまわっているところであった。
「あの子ですか?ルドマン様の施設にいる子供ですわ」
シスターは、お茶と質素な菓子をテーブルに置きながら、視線を窓の外に移した。
「フローラという名で、おとなしくて質の良い子ですわ。よくここの手伝いをしてくれます。」
「あの娘は・・・まるで、白薔薇のつぼみの様だと思わんかね?」
「は?白薔薇・・・ですか?」
めずらしく興奮した声をだして立ち上がるルドマンにシスターは驚いた。
「ああ、そうだ。白薔薇だ。」
シスターは、その意見には同意しかねると思ったのだが、あえて意義は唱えなかった。
「とりあえずお座りになってください。フローラは逃げませんわ、ルドマン様。」
「あ、ああ、失礼した。」
紳士−−−ルドマンは、自らの取り乱した態度にちょっと顔を赤くし、改めて椅子にかけると、この地方名産の独特の香りのするお茶を一口すすった。
しばらくカップをもてあそんびながら考え込んでいたルドマンは、向かいに腰掛けたシスターに向かって、やっと思い口を開いた。
「実は、ここにくる前に、家内の実家に寄りましてな。家内はそこから直接別の船で屋敷に帰ったのですが・・・
そこで寄った教会で、私は・・・神の声を聞いたのです。『白薔薇の娘を育てろ』と」
「神の・・・声・・・ですか?」
シスターが聞き返すと、ルドマンは、まるで少年のような表情で慌てながら答えた。
「いや、どうかお笑いにならないでください。夢でも見ていたのかと家内には言われましたが、
確かに、教会で祈っているときに、私には聞こえたんです」
「ご安心ください、わたくしも神に仕える身、お話は信じますわ。」
シスターの言葉に安心したのか、ルドマンは菓子をほおばりお茶で胃に流し込むと、話を続けた。
「いやぁ、妻に、白薔薇の娘とは、花から産まれた妖精か、花族の魔物か?と問われて困ってしまってから、
実を申しますとこのことはすっかり忘れていたんです。
しかし・・・あの娘を見たら・・・まるで今、神の声を聞いたかの様に思い出したんです、そのことを!
あの娘は、まるで、白薔薇そのものだ!これは神のお引き合わせだ!どうか、私に彼女を引き取らせてください。」
「落ち着いてくださいな、ルドマン様。あの子はあなたさまの施設の子供ですし、ルドマン様が引き取るとおっしゃったら、意義を唱える物などおりません。
ただ・・・あの子は・・・あの施設の子供は、ご存じのように素性のしれない子供が多く、
あの子もまた、親の顔も産まれもわからぬ子供です。それに、まだ幼いですし・・・」
そして、この村から離れたくないという彼女の夢をシスターは知っていた。しかし、この修道院も、村人の生活も彼によるものということもまた
シスターはわかっていたので、その先を続けることはできなかった。
ルドマンは興奮する気持ちを抑えながら、シスターに言った。
「ご心配には及びませんよ、シスター。私の実の娘と思って育てますし、きちんとした教育も受けさせます。
年頃になったら、ルドマンの娘として恥ずかしくないだけの夫を捜しましょう。
もしこの後私たちに子供ができても、差別せず愛して育てるとあなたにも神にも誓いますよ。
私は留守にしていることがおおいですから、妻も喜ぶでしょう。女の子なら、よい話し相手になる。妻はかねがね女の子をほしがっていましたからな。」
ルドマンの言葉に嘘がないことを、シスターは今までの経験でよくわかっていた。
しかし、彼に託すことが、はたして本当にフローラの為になるのだろうか?
シスターは迷っていた。しかし、神に仕える物として、神の言葉に逆らうことはできない。
「わかりました。フローラを呼んでまいりましょう。」

その夜、小さなフローラは初めて、自分自身の力だけでは、どうにもならないことがあることを学んだ。
ただ泣きじゃくるフローラの頭をルドマンはやさしくなでて言った。
「お前が私の施設を好きでいてくれてうれしいよ。でも、これから行くところはもっといいところだよ。
 泣かないでおくれ。お前はやっと見つけた、大切な私の宝だ。」
しかしフローラには、この言葉は届かなかった。
泣き疲れたフローラが眠りについたのは、もう森の向こうがぼんやりと白くなるころだった。

翌日、あわただしい施設の子供達や村人との別れをすませ、フローラはルドマンに連れられ、船上の人となった。

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