白薔薇の娘

<白薔薇の娘 23話>
ビスタとポートセルミの間は、距離はあまり長くないのだが、海流と風向きの関係で、ビスタからポートセルミに向かう場合は順調に進んでもまる2日を要する。
ストレンジャー号に乗って3日目の朝、メイド達はフローラに、ビスタに届けられていたドレスを着せた。クマのぬいぐるみはおそろいのドレスがなかったので、フローラが選んだドレスを着せた。
朝食の席でルドマンは、ちょっと苦々しい表情をしたが、何も言わなかった。
「どうしてあのドレスをお着せしたんだ」
廊下で秘書にそう聞かれたサリーは、眉間にしわを寄せて答えた。
「そうした方がいいと思ったからです。」
「あれは、奥様がお贈りになったドレスだろう。だったらサラボナに着くときに、お着せすればいいじゃないか。旦那様のお顔を見たろう。」
「あなたが有能な秘書でいらっしゃるのは存じております。フローラ様のことで、いろいろ配慮していらっしゃることも。」サリーは冷ややかな表情で続けた。「けれど、奥様の事に関しては、私の方がよく存じ上げているんです。あれは、今日こそお着せするべきなんです。旦那様だって、なにもおっしゃらなかったでしょ。」
サリーの迫力におされ、秘書は少々たじろいだ。
「し、しかしだな。今日中にサラボナまでは着かんぞ。明日もあれをお着せするのか?」
「そんなのは、ポートセルミに着けばわかることです。もし無駄だったら、サラボナまで一人で歩いて帰りますわ。」そしてサリーは「下船の準備がありますから」と言い、話がまだ飲み込めないでいる秘書を残してさっさと去った。

朝から遠くに見えていた陸は、昼前にはすぐそこまでやってきた。
いよいよ港が近づいてくると、船首でメイドと陸を見てるフローラの所に、ルドマンもやってきた。
ポートセルミは今までフローラが見てきた港とは比べ物にならないくらい大きく、突き出している数本の桟橋のには、数隻の大型船と小型船が停泊しており、陸にはたくさんの建物が見えてきた。
港の端にある、他に船が停泊していない短めの桟橋の先端に、人が数人立っている。海風にドレスがはためいて見えたので、それが女性であることがわかった。薄い色のドレスの人が一人、濃い色のドレスの人が数人だった。
「あれを・・・どう思うかね?」
様子を見に来たメイド頭に、ルドマンがおそるおそる聞く。メイド頭はこともなげに答えた。
「ご想像の通りかと、存じます。」
ルドマンはやっぱり、という表情でつぶやいた。
「もうずいぶん、こんなことはしなかったんだがなぁ」
「今回は特別なお土産がございますからね。」
そしてメイド頭はサリーとジリアンに「フローラ様のお荷物は大丈夫かい?」と確認して、船の中へ戻っていった。
フローラは、行き交う船や近づいてくる街に見とれていた。
やがて船は、あのドレスの女性が立っていた桟橋にまっすぐ向かった。接岸時は揺れて危険だからと、フローラは船室に戻らされ、大きく船が何回か揺れた後、秘書が迎えにやってきた。
「お待たせしました。ポートセルミです。」
ルドマンに抱かれ、フローラは船室を出た。
「乗り込むときは、すまなかったね。今度はちゃんと、一緒に降りるからな。」
ルドマンは父親っぽい口調でフローラに言ったが、ルドマンの思惑がわかっていたメイド達は、ルドマンの後ろを歩きながらこっそりと笑っていた。

ルドマンは渡り板の手前まで行くと、もったいぶって立ち止まった。
渡り板の先では、数人の人がルドマンを待っていた。その一番先頭にいる女性は、どうやら先ほどから桟橋の先端に立っていた人の様だ。
その時、ルドマンに抱かれていたフローラがつぶやいた。
「あの人・・・『おかあさま』っていう人?」
「おお!」ルドマンもメイド達も感嘆の声を上げた。
いささか不安な言い回しではあるが、それは仕方がないだろう。ルドマンはにっこり笑い、「そうだよ、あれがおまえのお母様だ」とフローラに答えて、ゆっくりと渡り板を渡った。
その女性は、確かにあの肖像画の女性ではある様でもあったが、まるで違う女性にも見えた。
彼女は一面に白い小花の刺繍がされた淡い藤色のドレスを着ていた。背中におろした豊かな髪は亜麻色で、海風に吹かれ日の光と海の照り返しを受け、金にも銀にも見えた。白い肌、桜色の唇、大きな瞳は琥珀色で、柔らかく輝いていた。いたずらな海風にドレスや髪を乱されても、その女性の美しさは乱されることなく、むしろ内面に潜む、いつもなにか楽しいことを探してるちょっといたずら好きな魂の輝きを浮き上がらせて見せた。
ルドマンが渡り板の中程まで来ると、女性はたいそう美しくお辞儀をした。
「身体はいいのかね?」ルドマンが女性の前に立ち、声を掛けると、女性はゆっくりと顔を上げ、少女のような笑顔を見せた。
「お帰りなさいませ。お待ちしておりました。身体は、なんともありませんのよ。乳母やとドクターが大げさすぎるんですわ。」
そう言って女性はちらりと、後ろに控えている年輩の、白髪の交じった黒髪をきつく結い上げた女性を見た。
「だが、彼らの言うこともちゃんと聞いてもらわねば困るよ。これから忙しくなるのだからね。」
ルドマンは女性が他の者の手前、表情や態度には出さないが、早くフローラと話をしたくてじりじりしていることがわかっていたので、わざとじらすようにゆっくりと話した。
「ご心配なく。船旅の疲れもすっかり癒えましたわ。もう、どんなお仕事でもできましてよ。」
「そうか、それはよかった。」ルドマンはもう少しじらしたかったのだが、フローラを抱いている腕が疲れてきたのと、後でこの女性と二人きりになったときの事を考えた。
「では、紹介しよう。グリンダ、この娘がフローラだ。フローラ、この人がおまえのお母様になるグリンダだよ。」
それまでルドマンの首にかじりついてちらちらと『お母様』と紹介されたその女性を見ていたフローラは、急に話しかけられ、大きな目をもっと大きく見開いてぱちぱちさせ、顔を赤くした。
そしてグリンダに、小鳥がさえずるような美しい声で「初めまして、フローラ、お会いできるのを楽しみにしていましたわ。」と言われ、驚いてルドマンの肩に顔を埋めた。
「わっはっは、初めてだからな、仕方ない、仕方ないな。」
ルドマンは優越感をそのまま顔に出して、うれしそうに笑った。
グリンダはルドマンに対し、一言、二言、言いたそうな顔をしたが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
ルドマンはフローラを下に降ろしながら、「どうしたね?お母様にご挨拶はないのかな?」と言った。
そのルドマンを見て、グリンダの後ろに控えていた使用人達は目を丸くした。航海に同行していなかった彼らにとって、ルドマンが子供に、しかもこのような話し方で語りかけることは、天変地異が起こる以上にめずらしく、考えられないことであった。グリンダから、ルドマンが子供を引き取ってくると聞かされてから、使用人達は皆あれこれと勝手な想像をしていたのだが、今までのルドマンをよく知る彼らは、過去の記憶が邪魔をして、これほど変わるとは考えられなかったのだ。しかし、グリンダの事前の教育が行き届いていたため、使用人達はそんな気持ちは表に出さずにいた。
ルドマンにおろされたフローラはすぐに、こんな時の定位置になりつつあるルドマンの後ろに隠れ、上着の裾をギュッと握り、恐る恐るグリンダを見た。
グリンダは、たっぷりとしたスカートを優雅な手つきでまとめながら、ビアンカの目線にあわせるようにしゃがんだ。
まだおどおどしているフローラに、グリンダは小さな声でそっと言った。
「わたくしが贈ったドレスを、着てくれたのね。」
フローラは自分のドレスを見た。グリンダのドレスを見た。そしてそこで初めて、あることに気付いた。
「あ!おそろい!」
「そうよ、お揃いよ。あなたが着てきてくれて、うれしいわ。」
グリンダがあの少女のような笑顔を見せた。フローラもつられて、すこしだけかわいらしい笑顔を見せた。
「フローラ、ドレスのお礼はどうしたね?」
フローラはルドマンを見上げ、むずかしい顔をした。そして今朝、メイド達に教えられた言葉を思い出しながら、たどたどしく言った。
「ありがとう・・・ございます・・・おかあ・・・さま?」
「まぁ!」
グリンダの顔が、まるで大輪の花が咲いたようにぱっと輝いた。
「どういたしまして。気に入っていただけたのなら、うれしいわ。」
グリンダの反応は、以前ルドマンが『おとうさま』と初めて呼ばれて泣いたときよりも、ずっとフローラにとってわかりやすかったので、フローラは迷わず小さな笑顔で「はい」と言った。
たったこれだけのことで、グリンダはすっかり、小さなフローラの虜になってしまった。
「フローラ、はじめましてのご挨拶のキスをさせてくださる?もちろんあなたがお嫌でなかったら、ですけど。」
フローラはまたルドマンを見上げたが、ルドマンがやさしく頷いたので、ルドマンの後ろから出て、グリンダの前に立った。
グリンダはやさしく、フローラの頬にキスをすると、そっとフローラを抱きしめ「よろしくね、フローラ」と言った。グリンダのキスはいい香りがし、その抱擁は暖かで心地よかった。グリンダの優しい抱擁は、生活と環境の変化への不安で堅くなっていたフローラの心までそっと、柔らかに温めている様だった。
幸福で頬をバラ色に染めたグリンダは、ルドマンを見上げていった。
「あなたは、うそつきでいらっしゃるわ。こんなにかわいらしい娘、薔薇の方が色あせてしまいますわ。」
「そうかな、そうかもしれんな。」ルドマンもまた幸せそうに微笑んで、まるで寄り添う2輪の花の様な二人を見守っていた。

馬車の準備を確認してきた秘書がルドマンを呼びに来た。ルドマンに声を掛けようとしたとき彼は、サリーと目があった。サリーは不敵な笑いを浮かべたが、秘書はポーカーフェースのままで、何も言わなかった。しかし内心では、その場の勢いで賭け事まがいの事を言わなくて良かったと、胸をなでおろしていた。

好奇心旺盛な港町の人々を避けるように、一行はポートセルミの喧噪を後にした。


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