慣れない馬車旅の疲れから、フローラはいつもより早く眠りについた。ルドマンが自分の寝室に戻ってくると、グリンダは、グリンダの乳母とサリーの3人で話をしていたが、彼女たちはルドマンを見るとすぐに退室した。 グリンダと二人きりになったルドマンは、さぁ来るぞ、と身構えた。しかしグリンダは、ルドマンが予想していたような文句を言い始めることなく、ルドマンの頬にキスをして、「お疲れさまでした」と言って上着を脱がせた。拍子抜けしたルドマンは、「あ、ああ、うん」と間の抜けた返事をして、ソファーに腰掛けた。 グリンダはサイドテーブルにあるピッチャーからグラスに酒をそそぐとルドマンに渡し、自分はお茶のカップを持って彼の隣に座った。 ルドマンは横目でちらちらと、黙ってお茶を飲んでいるグリンダを見ていたが、やがて沈黙に耐えきれなくなり恐る恐る口を開いた。 「三人で何の話をしていたんだね?」 「もちろん、フローラの事ですわ。あなたのお手紙だけでは、何が何だかわかりませんでしたから。」 グリンダは冷たく答えた。再び沈黙が続く。しかしやがて、おどおどしたルドマンの態度に耐えかねて、グリンダが声を出して笑い出した。 「なんでそんなに神妙な顔をしていらっしゃいますの?なにかいたずらなさいました?」 「ああ、いや、おまえが、その、フローラのことで、あの、だな・・・」 ルドマンはいたずらをしたわけでもないのに、グラスをもてあそびながらしどろもどろに答えた。グリンダはなおも笑いながら、そっとルドマンの肩にもたれて言った。 「そうよ、あなたはずるいわ。わたくしがいない間にすっかりフローラと仲良しになって、母親の楽しみであるお休みのお話までなさるんですもの。わたくしには、文句を言う権利があると思いますわ。」 「いや、すまん、ほんとにすまん。」 ルドマンは膝に置かれた白くしなやかなグリンダの手を握ると、申し訳なさそうに答えた。 「どうしても、スケジュールが動かせなかったんだよ。オラクルベリーの開発は、皆狙っているからね。それに、フローラ一人で帰らせる訳にもいかんだろう。気には、していたんだが・・・」 ルドマンはおどおどと、ばつがわるそうに答えた。仕事の場でのルドマンは、どんな状況に追い込まれてもあわてふためいたりおどおどする事は絶対にない。グリンダは、まだクスクスと笑いながら、自分だけに見せるその姿を楽しんでいた。 「そうですわね。解っていますわ。あなたが、どんなに急いで帰ってきてくださったかも。手紙であれだけ書きましたから、もう気が済みましたわ。それに・・・わたくしのことを『お母様』と呼ぶようにフローラにお教えになったのも、あなたでしょう。」 「ああ、いや、それはだな、教えたのは、おまえのメイド達だよ。」 ルドマンは手柄を横取りすることなく、正直に答えた。 「若いのに、よくやってくれたよ。わたしのことをお父様と呼ぶように教えたのも彼女たちだ。まったく、おまえのメイドは気が利くな。よく気が利くメイドだ。」 グリンダはまるで自分の事を褒められたように、かすかに頬を染めて微笑んだ。 「お褒めいただいて、うれしいですわ。もっと経験のある者を残せばよかったかとも思いましたが・・・偶然にも二人とも、小さな兄弟がいて子供の扱いには慣れていたそうです。彼女たちを選んだのはあなたの秘書だそうですわね。彼のことも評価してあげてくださいませ。」 「ああ、もちろん、もちろんだとも。彼にも今回の件では世話になったからな。少し給料を上げておかねばならないね。私は良い部下に恵まれたよ。」 公の場や部下の前では決して手放しで部下を褒めることがないルドマンだったが、グリンダと二人だけの場では、しばしばこの様な会話が交わされていた。相手の立場や地位がどうであれ、良い者を良いと認めるルドマンのこの考え方は、グリンダが彼を好きな理由の一つであった。 ちなみにルドマンが本人達を直接褒めないのは、よくある「使用人を甘やかすとつけあがる」という経営学で得た知識からくるものもあったが、なにより彼自身の照れ屋で、人前で自分の感情を表現するのが苦手という性格によるものである。 グリンダはうれしそうにルドマンを見た。ルドマンも愛おしそうにグリンダを見る。グリンダが手紙の様な文句を言わないことにほっとして、ルドマンはグラスの酒をおいしそうに一口飲んだ。 「しかし、ずるいと言ったら、おまえだってずるいぞ。私は『お父様』と呼ばれるまでにずいぶんかかったし、なかなか口をきいてももらえなかったからな。まぁ・・・無理矢理こんなところに連れてこられたんだ。無理もない、無理もないがな・・・」ルドマンは寂しそうに笑って言った。「実は、お告げに浮かれて馬鹿なことをしてしまったのではないか、かわいそうな事をしたのではないかと、心配なんだよ。」 「まぁ・・・あなた・・・」 グリンダはカップをテーブルに置くと、両手でルドマンのぷっくりした手を包んだ。 「それでも・・・あなたは今、フローラを大切に思っていらっしゃるのでしょう?」 「もちろんだよ。当然じゃないか。もう・・・手放したくないと思っているよ。」 「でしたら・・・」 「フローラはあの施設がたいそう気に入っていた様なんだよ。」 ルドマンはため息をついた。 「居心地の良い、大好きな場所からさらってしまったのだと思うと申し訳なくってねぇ。」 「でも、永遠に施設にいるわけにはいきませんわ。遅かれ早かれ、そこを出る日が来ますでしょう。それが、ちょっと早かっただけですわ。」 「だがね、フローラは、施設のある村にあった、修道院に入りたいと思っていたそうなんだ。まぁ、子供の憧れではあるから、大人になってそうなるとは限らないけどねぇ。でも、そうなったらあの子はあそこでずっと幸せにしていられたのかもしれないと思うと・・・」 その時、グリンダが急に立ち上がった。ルドマンの手からグラスを取り上げるとテーブルに置き、そして彼の膝に座った。 「ねぇ、あなた、わたくしも故郷の街が大好きでしたわ。」 グリンダが急に自分の話を始めたので、ルドマンは彼女の腰に手を回しながら、きょとんとした。 「あの街が全てでしたし、あそこから出ることなど考えませんでした。父の選んだ方の所に嫁いで、一生あの街で生きるのだと思っておりました。」 グリンダはルドマンの首に手を回し、額にそっとキスをすると優しく微笑んで続けた。 「サラボナに嫁いできたとき・・・口さがない親族の方の言葉や、街の方に田舎者と笑われることが苦痛でした。それでも逃げたりしなかったのは・・・あなたが、わたくしの事を愛して、大切にしてくださったからですわ。」 ルドマンはやっとグリンダがなにを言わんとしているのか理解すると、きゅっと彼女を抱きしめた。 「あの子も・・・そう思ってくれるだろうか?」 「わたくしたちがあの子を愛せば、伝わるのではないでしょうか。あなたはもうフローラのことを、わたくしと同じように大切に思っていらっしゃるのでしょう?」 「ああ、ああ、もちろんだとも。」 「わたくしは、あなたの妻になったことを後悔したことはありませんわ。わたくしとフローラは違う人間ですから、同じ様に感じるかどうかはわかりませんが・・・でも、あの子が幸せになれるように考えたら、きっとうまくいくと思いますの。」 「そうかな、そう思うかね?」 「ええ、そう思いますわ」 そしてもう一度ルドマンにキスをすると、夫人はあの少女のような、いたずら好きな瞳で言った。 「ねぇあなた、神様はきっとあわてん坊なんだとお思いになりません?あの子をわたくしたちの所へ届けようとしていたときにきっと、どこかに間違ってあの子を落としてしまったのだわ。でも、少し遅くなってしまったけど、ちゃんと私たちの所へ届けてくださった。あの子を見た時わたくし、そんな風に思いましたの。あの子をお産みになった、本当のお母様には申し訳ない考えですけれど・・・でも、あの子は本当に、わたくしたちの娘ではないかって」 ルドマンは愛おしそうにグリンダの背中をなでながら答えた。 「ああ、そうかもしれないねぇ。でもだとしたら、わたしはあわてん坊の神様に感謝するよ。おまえが危ない目にあわずに、娘を授かることができたんだから。おまえとあの子と二人とも、元気なままで手に入れることができたんだからね。」 そして小さな声でつぶやいた。 「すまないね。わたしのせいで、つらい思いをさせてしまって。」 グリンダはルドマンの唇に人差し指をあてた。 「あなた、それはもうおっしゃらない約束ですわ。わたくしのせいでもあるのですもの。おたがいさま、でしたわね。」 「ああ、そうだね、そういう約束だった。それに、娘ができたんだ、もう何も問題ない。」 しかしグリンダは眉間にしわを寄せると、かわいらしため息をついた。 「いいえ、問題は山積みですわ。きっとサラボナに戻ったらすぐに、あなたのおばさまがたがご機嫌伺いという名の品定めにいらっしゃるでしょう。」 「大丈夫、口汚いおばさん達の相手はわたしがするよ。父親の仕事だからね。」 「頼りにしてますわ。あなた。」 そして二人はそっと唇を重ねた。 |
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