白薔薇の娘

<白薔薇の娘 3話>
出航に際し、ルドマンは秘書に命じ、子供が喜びそうな絵本をすこしと、彼女のための服を少し準備した。
本当は、もっといろいろと準備するつもりであったのだが、船員と地元の猟師が南からの嵐の到来を予感したため、出航が早まってしまい、最低限のものしか準備できなかったのだ。
「まぁ、仕方なかろう。足りない物は次の港でそろえればよい。屋敷に戻るまでにはまだしばらくかかるしな」
ルドマンは、フローラのための船室を確認しながら、秘書にそう言った。実のところルドマンは、なにが足りないのかさっぱりわかっていなかったのだ。もともとインテリアや洋服などには興味が無く、ましてや子供部屋など、自分の子供の頃の部屋以外は見たこともなかった。実は取り引き相手の自宅に招かれたときに、子供部屋へ案内されたこともあったのだが、彼はまったく興味を持っていなかったので、まったく記憶に残っていなかったのだ。
そんな風にしてフローラの船旅は始まった。最低限の準備と言っても、それはルドマンの娘としての価値を基準とした物であって、施設のフローラのいた部屋に比べたら、部屋も広くベッドも大きく、他の子供達と場所の取り合いをすることもなく過ごせたのだが、それがかえってフローラの里心を刺激した。
フローラの身の回りの世話は、ルドマンの屋敷から来ていたメイド達が担当した。彼女たちは性格も穏やかで子供好きで、なによりメイドとしての立場を心得ていた。快適な環境と優しい笑顔を提供はしたが、「ルドマン様のお嬢様」への、一線を置いたメイドらしい態度は、フローラの寂しさを増す結果になった。
 まだ小さなフローラの心は、ある意味空っぽであり、ある意味では一杯であった。住み慣れた村から、まだ朝霧の残る中、豪華な馬車で初めてくる港まで連れてこられ、おもちゃでしか見たことがない船というものに・・・それは村の修道院よりもっと大きかった・・・乗せられて、知らない人に囲まれて旅立つという事実を、フローラはまだ受け止められずにいた。
 明け方まで泣き続けた瞼はうっすらと赤く腫れていたが、それはフローラの愛くるしさを損ねることはなかった。むしろメイドや船員達には、そのおずおずとした表情と共に『守らねばならない大切な物』という印象を与え、ほとんどの者は、彼女の幸運をうらやむより、その小さな心に受けた傷をかわいそうにと思った。
出航の時を迎え、メイドに手を引かれて船尾に立ったフローラは、遠ざかっていく港町の向こう、森が少し切れたところに懐かしい修道院と村を見た。彼女は手すりを強く握りしめ、その大きな蒼い瞳からは再び涙がこぼれた。フローラは、声も出さず騒ぎもせず、ただ岸を見つめて涙を流していた。
彼女を踏み台に乗せ、腰を支えていたメイドは、その大人びた泣き方に、なんと声をかけていいかわからなかった。住み慣れ、守られてきた戻るべき場所から無理矢理連れてこられ、今後も、生活や立場が保証されているといっても、彼女にとって幸福となるかどうかの保証もない。ルドマンは、悪い人ではないが、子供はあまりすきではないし・・・
メイドはフローラに気づかれぬよう、そっとため息をついた。
「フローラ様、泣いていらしては、楽しいことが逃げていってしまいますよ」
フローラは、メイドの存在に今初めて気づいたというように彼女の方を見た。実際、この数時間、フローラは初めて会うたくさんの大人に挨拶されたのだが、彼女の瞳はそれを映しても、彼女の心は全くそれらを受け止めてはいなかったのだ。
ふいに話しかけられたフローラのきょとんとした表情は、それがまた、たいそうかわいらしくあどけなかったのでメイドの顔には思わず優しい笑みが浮かんだ。
「涙を流して、後ろばかりみていたら、前に落ちている楽しいことが見つけられませんよ。きっと、もうすぐ楽しいことがたくさん見つかりますよ。」
フローラは、まだ混乱していたので、彼女の言っている意味をきちんと受け止められていなかった。フローラはただ、泣いてはいけないと、もう戻れないのだということだけを心に留めていた。そして彼女は、人前では泣くことをこらえるようになった。

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