夢の向こう側

<夢の向こう側 8話>
幼いながらもビアンカのその美しい容姿は、人々の目を引きつけた。
「女将さんも美人だけど、ビアンカちゃんは・・・お父さんにも、お母さんにも似てないねぇ。」
街の人や宿の客にそう言われると、マグダレーナはいつもこう答えた。
「何言ってんだい。あたしの子供の頃にそっくりだよ。ビアンカもすぐにあたしみたいな美女になるさ。」
「ふーん、そんなもんか」
もう既にビアンカの言動は母親そっくりであったので、自信たっぷりにこう言われると人々はなんとなく納得した。しかしダンカン夫妻の心の中は、こんな言葉を聞くといつもおだやかではいられなかった。
彼らはビアンカの出生について、まだ本人に話していなかった。小さいうちはまだいいだろう、と思っていた。しかしそれならいったい、いつ「小さいうち」でなくなるのか・・・夫妻はその答えを出せずにいた。

平和な街で、ささいな事件にハラハラする程度の日常。母に与えられた「勉強」をこなしながら、父の心配など無用、というように楽しそうに遊び回るビアンカ。
夫妻はずっと、こんな日が続いてくれたら、と毎日祈っていた。

しかし、「光の教団」の・・・いや、恐ろしい魔が作り出す暗く、冷たい闇は、彼らがどんなに警戒していても姿を変えて、彼らの背後へと忍び寄っていた。


それは、ビアンカが8歳の春だった。
その年の春はいつもよりも長く、穏やかな天気が続いていた。その日は午後から天気が崩れだし、山が厚い雲の傘をかぶっていたので、旅人はいつもよりも早めに宿を求め、ダンカンの宿はすぐに満室になった。夕方から降り出した生暖かい雨は夜になってもやまず、静かに宿の窓を叩く。ダンカン夫妻は今日の仕事を終え、コック達も仕込みを終えて帰ったガランとした台所で、遅いまかないを食べていた。客は寝静まり、従業員も夜勤の者を残しほとんどが、街に住む者は自宅へ、住み込みの者は自分の部屋と戻っている。同じ屋根の下にはたくさんの人間がいるはずなのに、こんなに静かに感じるのは、雨のせいだろうか。二人ともなぜか言葉少なくなり、台所はシンとしていた。
突然、軽いノックの音が響き、二人は飛び上がらんばかりに驚いた。ドアのところからは、帰り支度を終えた番頭が中を覗いていた。
「どうしたね?なにかあったのかい?」ダンカンが立ち上がると番頭は、それにはおよばない、という様に台所に一歩踏み込んだ。
「いいえ、仕事は問題ありません。」そう言うと番頭は振り返って、手招きをしている。彼の後ろから、大きな枕を抱えたビアンカが入ってきた。
「ビアンカ!どうしたんだい?」マグダレーナは慌てて立ち上がる。
「泣きながら階段を下りていらしたので・・・」
「すまない、迷惑を掛けたね。ありがとう」ダンカンは番頭に丁寧に礼を言った。
ビアンカは、枕を落としてマグダレーナのスカートにかじりつくと、泣きながら言った。
「パパスおじさまのところへ連れてって!おじさまが!おじさまが!」
「ビアンカ!」マグダレーナはビアンカを抱き上げ、番頭がいるのを気にして、ビアンカを落ち着かせようとした。しかし、珍しくひどく興奮しているビアンカは、話すのを止められなかった。
「リュカが捕まって、おじさまがやられちゃうの。恐い魔物が・・・おじさまを助けて!おじさまのところにつれてって!」
マグダレーナは困ってダンカンを見た。
番頭は、何かを察し、頭を下げてそっと台所を出た。
「落ち着きなさい、ビアンカ」ダンカンが歩み寄り、ビアンカをのぞき込むが、ビアンカはマグダレーナの肩に顔を埋めて泣きじゃくっている。
「とにかく・・・」ダンカンはため息をついた。「今は夜中だし、今日は満室だ。明日には雨も止むだろうし・・・あさってになら」
「旦那さん、あたしが出ますから、明日行ってらしてください」廊下から、声がした。番頭が戻ってきて、ドアから顔だけ出して言った。

番頭は、ビアンカの不思議な力に気づいていた。小さい頃は時々、突然このような事を人前でも言いだしてダンカン夫妻を慌てさせていたし、それが危険を予言しているらしいことや、それをきいたダンカン夫妻が影から手を尽くして、危険を避けてきたことも時には他人を助けている事も知っている。しかし、ダンカン夫妻は他人にこのことを知られたくない様子だし、自分も少なからず恩恵を受けたことがある。だが番頭は、こういうことにあまり興味がなかったし、それに何より、仕事以外のことで他人の事情に口をつっこむのは好きではなかったので、ビアンカの能力を気に留めていなかった。
しかし今回は・・・こんな風に取り乱すビアンカを見たのは初めてだ。
それに、ビアンカの言っている「パパスおじさま」なら自分もよく知っている。時々泊まりに来る、ダンカン夫妻の友達だ。しばらく姿を見せなかったが、少し前に風邪をこじらせたダンカンを見舞いに来て、自分もうつってしまい宿で寝込んだが、すぐに治ってサンタローズに帰っていった。その驚異の回復力に、パパスが帰った後、宿で働く一部の男達の間で、筋力トレーニングが流行しているのだ。
あのパパスが?魔物に?あの坊やが捕まって?
番頭はなぜか、このことを放っておいてはいけないような気がした。後日思い返したとき、なぜそう思ったのか全くわからなかったのだが、とにかくこの時は、彼の中の何かがそう思わせていた。


前のページへ戻る もくじへ戻る がらくた置き場のトップへ戻る 次のページへ進む


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送