白薔薇の娘

<白薔薇の娘 30話>
潮騒のない夜になかなか慣れることはできないフローラは、毎日夜中に眼を覚ました。
楽しい一日を過ごしたはずなのに、静寂と暗闇の中でどうしても涙が出てくる。布団をかぶり、そっと泣いているとなぜか・・・グリンダがそっとやってくる。そしてフローラが再び眠りにつくまで小さく優しく子守歌を歌っていた。
子守歌を聴きながら、フローラは「なぜ『おかあさま』は起きているのがわかるんだろう。大きな声は出していないのに」と不思議に思っていた。しかしグリンダの優しい歌声はすぐにフローラを再び夢の中へと導き、朝になると楽しいことがいっぱいで、フローはすっかりそのことは忘れていた。
実はグリンダはフローラが気になって、夜中に何度もフローラの寝室を覗きに行っていたのだ。このことでグリンダの乳母・・・今はフローラの乳母でもあるのだが・・・はグリンダを注意した。
「お嬢様、ご自分のお身体のこともお考えください。毎晩毎晩、そのうち倒れてしまいますよ!」
「お嬢様はフローラで、わたくしはもう『奥様』だわ。」
フローラが昼寝をしている間乳母に説教されて、グリンダはまるで少女の様に唇をとがらせた。
「フローラ様はもちろんお嬢様ですが、グリンダ様もわたくしにとってはお嬢様です。」
乳母はグリンダの反論など簡単にしりぞけた。
「最初からこんなにはしゃいでいらしては、大切な時にまた体調を悪くなさいますよ。ルドマン様がお戻りになられたことは、もうそろそろ噂になっているでしょうし、いずれもっと大変になりますよ。もうちょっと落ち着きなさいませ。フローラ様の事でしたら、私もメイド達もついているんですよ。」
「でもね、乳母や、それはわかっているけれど、泣いているフローラを放っておくことはできないわ」
「ですからその時は、私が参ります」
「いいえ!わたくしが行きたいの!どうして母親が娘の面倒を見てはいけないの?」
グリンダの大きな琥珀色の瞳は、この件だけはがんとして譲れないという決意の色が伺えた。こうなったらグリンダの心を変えることは例え龍の神でもできないということを、赤子の頃からグリンダを見ている乳母はよく知っていた。
乳母はため息を着くと、この美しいきかん坊に譲歩した。
「わかりました。そのかわり・・・お嬢様もフローラ様と一緒にお昼寝なさいませ。」
「わたくしが・・・お昼寝?」
乳母の意外な提案に、グリンダは大きな瞳をますます大きくして戸惑った。
「さようでございます。特別に、フローラ様の寝台でお休みになってよろしいですし、お昼寝だけはフローラ様をご夫婦の寝室にお入れになることも・・・許可いたしましょう。お嬢様の健康には変えられません。それに・・・」
乳母はちらりと、まだ驚いているグリンダを見て淡々と続けた。
「一緒にお休みになっていれば、もしフローラ様がお目覚めの時も、寂しくございませんでしょう。」
「ああ!乳母や!大好きよ!」
グリンダは乳母に抱きつき、その頬にキスをした。乳母は無愛想な表情を崩さず、付け加えた。
「ただし、おしゃべりしてお休みになれないようでしたら、その時は夜中にフローラ様のお部屋に出入りすることを禁止いたしますからね。」
「ええ、ちゃんとお昼寝するわ。さすがわたくしの乳母やね!」
そんな訳で、フローラが屋敷に来て1週間を過ぎた頃には、午後は二人で寝室に潜り込むのが恒例となった。グリンダはこっそりおしゃべりする気まんまんであったのだが、さすがにピクニックの疲れと寝不足とが重なって、二人ともあっという間に心地よい午後の風に吹かれながら、仲良く暖かな眠りについていた。
ルドマンはたいそうこのことをうらやんだのだが、秘書も執事もピクニックに加えて昼寝まですることを許さず、彼は一人泣く泣く仕事をこなしていた。

フローラが緊張して迎えた『新しい生活』は楽しかった。新しいメイド達やこっそり面白い顔をしてみせる「じい」も、いつも無愛想な乳母でさえ、彼女を心から歓迎していることをフローラは感じていた。しかし、屋敷の中で、ピクニックに行く途中で、フローラは『それ』を感じていた。まだ小さなフローラは、『それ』が何なのか解らなかった。ただ『それ』を感じると、なにか自分が隅々まで観察されているような気がしてなんだが居心地がわるくなった。

ルドマンの屋敷の使用人達は、代々この屋敷に仕えているか、ルドマンの親族に紹介された者のみだ。条件も、給料も良いこの職場に入りたがる者は多いが、ふらりと来た者が入ることはない。親が勤めていたり、親戚縁者の紹介があっても、最後にはルドマン本人の簡単な面接があり、それに通らなければ勤めることは許されない。これはずいぶん以前から行われている習慣で、資産家故に外で敵の多い当主がせめて屋敷の中ではくつろげるようにということから始まったと思われる。
昔はいろいろあったりもしたが、何代か前からのルドマンの当主は使用人達を奴隷のように扱うことはなく、他のところで働くよりはずっと良い環境であったので、代々働いている者達は特にこの屋敷で働くことに不満はなく、誇りに感じている者さえいた。
しかしかならずしもその様な者ばかりとは限らない。親戚縁者から紹介されて屋敷に入った者達は、執事の配慮で直接ルドマンや家族の身の回りの世話に当たることはなかったが、それでも外にいる者が欲する情報を得ることは、十分可能であった。

そして楽しい日々は、ある朝簡単に終わった。
いつもの楽しい朝食が終わり、ルドマンとグリンダはコーヒーを、フローラはミルクを飲んでいる所に、白髪の『じい』がやってきて、ルドマンにささやいた。
「旦那様、お客さまがお見えですが・・・」
ルドマンはコーヒーを飲み干すと、ため息をついた。
グリンダは心配そうにルドマンと執事を見る。和やかだった朝食の席があっというまに緊張した。
「わたしは・・・少々甘かったな。こんなに早くやってくるとは。」
ルドマンが乱暴にカップを置いたので、ソーサーががちゃりと悲鳴をあげた。グリンダは「仕方ありませんわ。ずっとこのまま、という訳にはいきませんもの」と小さくつぶやいた。そして立ち上がり、フローラの隣に跪くと、フローラの小さな手を握って言った。
「ごめんなさいね、フローラ。お客さまが見えたから、今日はピクニックに行けなくなってしまったの。フローラもご挨拶しなくてはならないから、これからわたくしと練習しましょうね。」
まだ小さなフローラにも、なにか大きな変化が起きようとしていること、そしてそれが今までの様に楽しいものではないことはわかった。

つづく

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