軽いノックの音で、サンチョは扉を開けた。 そこには、小さな客人が、父親と共に立っていた。 「おやおや、これはダンカンさんにビアンカちゃん。いらっしゃいませ!」 サンチョは満面の笑みで二人を出迎えた。 「こんにちは、サンチョさん。パパスおじさまとリュカは?」ビアンカは、かすかにふるえる声でたずねた。そのかわいらしい顔には血の気が無く、表情はこわばっていた。 サンチョはビアンカのその様子に戸惑った。 「遊びに来てくだすったんですか?実は・・・坊ちゃんも旦那様もお留守なんですよ。」 サンチョはビアンカをのぞき込むようにしゃがみ、申し訳なさそうに答えた。彼が動くと、お菓子の甘い香りがただよった。 ビアンカはますます顔をこわばらせると、無言で父親を見上げた。 普段であれば、「え〜!私がわざわざ来たのにお留守なの!」などと拗ねた声を上げるのに・・・やはり、なにか、いつもの彼女と違う。サンチョは、何かを警戒しながらも、笑顔で言った。 「すみませんね、せっかく来ていただいたのに。ちょっとお入りになって、お茶を飲んでいってくださいよ。美味しいケーキを焼いたんですが、坊ちゃんがいらっしゃらないから食べきれなくて困っていたところなんです。」 サンチョのケーキはビアンカの大好物だ。いつもならすぐにご機嫌がなおる。しかし、今日の彼女はそれでも表情を変えることなく、形のきれいな唇を色がなくなるほどギュッと噛み、父親の手を強く握った。 「ちょっと教会に行って、牧師様からのお使い物を届けておいで。あたしはその間サンチョさんと話をしているからね。寄り道をするんでないよ。」 ダンカンは優しくそう言うと、今朝早く教会に行って預かってきた小さな包みをビアンカに渡した。 「・・・はい、父さん」 ビアンカはそれを受け取ると、教会へと走っていった。 「・・・ダンカンさん、お身体はもうよろしいんですか?」 「おかげさまで、すっかり良くなりましたよ。かえって、パパスさんにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。」 「よろしいんですよ、旦那様も、とっくに元通りお元気になられました。旅の疲れがたまっていらしたんでしょうね。普段は病気がうつるなんてことないんですよ。もともと丈夫な方ですからね。」 サンチョがお茶を用意する間、ダンカンはじっと何かを考えている様子だったが、テーブルの向かい側にサンチョが座ると、思い切って自ら口を開いた。 「サンチョさん、あたしは他人の事情に口を挟んだり、根掘り葉掘り聞き出したりしない主義です。ビアンカにもそう教えてきました。」 それはサンチョもよく承知していた。そして、彼の口の堅さも。だからこそ、パパスはあれほどダンカンを信用し、親しくつきあっていたし、小さなビアンカの事もかわいがっていたのだ。 「だが、今日ばかりはその主義を曲げさせてもらう。はっきり聞こう。パパスどのはどちらへお出かけですか?」 「・・・ラインハットです。」 一瞬躊躇した後、サンチョは言葉少なに答えた。 ダンカンは深くため息をついた。 「ラインハットですか・・・ここ数年、よい噂を聞かないところですな」 商人は情報に敏感だ。時に商人の情報網は、国家の諜報機関をも越えることがある。特に権力者の噂は、例え遠く離れている国であっても、常に注意して集めている。責め際、引き際を間違えば大損をするどころか、権力争いに巻き込まれ、命を落としかねない。 ましてやラインハットは目と鼻の先、静かに進行しているお家騒動の噂は、王族や城の重鎮達の予想以上の速さと正確さで、旅の商人達の手によって、各地にもたらされていた。 ダンカンは、パパスの異国土産という、花の香りがする不思議な色のお茶を一口すすると、言葉を選びながら先日のビアンカの夢のことを語った。 「・・・子供の夢の話を真に受ける、馬鹿な親と笑ってくだすってかまいません。」 ダンカンは、茶碗の中のお茶を軽く揺すり、その不思議な色の液体が作り出す水面の輝きを見つめながら言った。 「しかし、あの子は・・・なにか不思議な力を持っている。あたしは今まで、あの子のおかげで危険を避けられたことも、命を助けられたこともあった。今回も・・・あの子が、ただリュカちゃんに会いたくて嘘をついているとは思えないんですよ。」 「ありがとうございます、ダンカンさん」 サンチョがかすかにふるえる声で言った。 「ビアンカちゃんが嘘を言うような子でないことは、あたしだってよーくわかっています。ほんとうに、ありがとうございます。ただ・・・旦那様に危険が迫っていたとしても、今のあたしには・・・」 言葉に詰まり、サンチョは、冷めはじめたお茶を一気に飲み干すした。 サンチョは、ダンカンの言葉も、ビアンカの夢も疑っていなかった。もちろん、自分たちのことをなにも知らないはずのビアンカがそんな夢を見たことに驚きはしたが、パパスの妻マーサを知る彼は、世の中には不思議な力を持つ人間がいることを理解していた。 もしかしたら、パパスはビアンカの不思議な力を感じていたのかもしれない。だから、珍しくあんなにかわいがっていたのかもしれない・・・そんなことをぼんやり考えた。 ダンカンにお茶のおかわりを注ごうとしてさしだした自らの、筋肉が落ちて鈍った腕を、サンチョは憎々しげに眺めた。こんな時が来ることは予想できたはずなのに、なぜ武術の鍛錬を怠っていたのだろうと深く後悔した。 |
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