夢の向こう側

<夢の向こう側 12話>
やがてビアンカが教会からもどり、サンチョはなにも無かったような明るい笑顔で、きれいに飾り付けたケーキをビアンカの目の前で切り分け、すすめた。しかし、ビアンカは手をつけようとはしなかった。
「サンチョさん、パパスおじさまとリュカは、いつ帰ってくるの?」
「ちょっと・・・お使いに行ってるんですよ、もうすこしお泊まりしないと帰ってこられないでしょうね。」
サンチョは、空色の瞳を曇らせ、うつむくビアンカの小さな心を安心させ、力づけようと「大丈夫、無事に帰ってきますよ」と言おうとしたが・・・そのふるえる小さな身体を見て、彼女が求めているのは、そんな子供だましのありきたりな言葉ではないことに気づいた。
「ビアンカちゃん」
サンチョはビアンカの隣の椅子に座ると、スカートを握りしめる小さな手に、自分の丸い手を添えて言った。
「坊ちゃんがお戻りになったらすぐに、アルカパのご自宅に旦那様と一緒に遊びに行くように言いましょう。」
サンチョの手に、あたたかい小さな滴が落ちた。ダンカンがそっと、春の日溜まりの様な金色の髪をなでる。
「だから・・・お家で、坊ちゃんの帰りを待っててください。そして、毎日神様に、旦那様と坊ちゃんと、ゲレゲレの無事をお祈りしててください。きっと坊ちゃん達にも伝わりますよ。」

日が落ちる前にアルカパまで戻るため、昼食の後のお茶もそこそこに、ダンカンとビアンカはサンチョにいとまを告げた。サンチョは、ビアンカが手をつけなかったケーキを、お土産にとかごに詰めて、ビアンカに持たせてくれた。
右手にかごを下げ、とぼとぼと歩くビアンカの後ろを、ダンカンと見送りに出たサンチョが並んで歩いた。ダンカンは、ビアンカに聞こえないよう小声でサンチョに言った。
「パパスがなにを調べているのか、何を求めているのか・・・あたしは知らないし、知りたいとも思わない。ただ・・・なにか大きな、大変なものに立ち向かおうとしているのは、聞かなくてもわかる。そして、その戦いが避けられないだろうと言うことも。」
困った顔をしてなにかを言おうとするサンチョを遮るように、ダンカンは続けた。
「あたしも、マグダレーナも非力だ。手伝いも、手助けもできない。パパス殿がそれを望んでいないのもわかっている。だけど・・・私はパパスが大好きだ。彼の無事を、彼がしようとしていることを遂げられることを、毎日祈ってますよ。」
「ダンカンさん・・・」
サンチョの小さな目が涙でいっぱいになり、丸い鼻は赤くなって、いっそう丸く目立って見えた。
「もちろん、あんたのこともですよ、サンチョさん。無理はしないでくださいね。」
「ありがとうございます。」
懐から布を取り出すと、サンチョは派手に鼻をかんだ。

やがて村のはずれにさしかかったとき、ビアンカはくるりと振り向くと、サンチョのところまで戻ってきた。そして、サンチョが自分の高さまでしゃがむのを待って、口を開いた。
「サンチョさん、あたし、リュカと約束したの。またいつか、一緒に冒険しようねって。」
泣き出したくなるのを必死にこらえているのだろう。ビアンカの春の空色の瞳は、きらきらと輝いて空よりもっと美しく見えた。
「約束したのよ、だから・・・」
「大丈夫、坊ちゃんは、約束を破るようなことはいたしません。信じて、待っていてください。」
サンチョは優しく微笑んでいった。「また、遊びにいらしてくださいね。坊ちゃんがいなくても、サンチョが楽しみにしていますよ。今度は一緒に、ビアンカちゃんが大好きなお人形の形のパンケーキを作りましょうね。これは、サンチョとの約束ですよ。」
サンチョが丸くて短い小指を出す。ビアンカは、自分の小さな小指をからめた。
「ぼっちゃんもあたしも、約束は絶対にやぶりません。旦那様がそういうことは、大嫌いですからね。ですから、待っててくださいね。」
しかし、この約束が遂行されるのは、ビアンカが、再びこの優しい笑顔を見るのは、十数年の後であった。

一人で家に戻ったサンチョは、二階の書斎に上がるとしばらくして、両手で抱えられるだけの書類と手紙の束を持って降りてきた。しばらくの間、それらをぱらぱらと見ながら考え込んでいたが、やがて台所の調理用ストーブの口を開けると、一つ一つ放り込み、完全に燃え切るように中をかき混ぜた。
勢いを増し、燃え上がる炎を見つめるサンチョの瞳は、なにかつらい決意をしているように見えた。


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