夢の向こう側

<夢の向こう側 32話>
突然、ノックの音がして緊張は高まったが、入ってきたのがお茶のおかわりと焼きたてのケーキを持ってきたマグダレーナであることを確認すると、なぜか少しほっとした空気が流れた。
「あなたは、この様な場に来て自分が人質に取られるとか、危害が及ぶかも知れないとは思いませんか?」
男の質問に、今度はお茶を配る手を止めずマグダレーナは答えた。
「夫も私も、お調べいただいて困るようなことは一切ございません。ですから、夫がお手を煩わせることはないでしょうし、私になにかあることもないと思いました。」
そして、空のカップを集め終えたマグダレーナはダンカンの後ろに立つと、まっすぐに男の目を見ていった。
「それに番頭が、皆様は紳士的でいらっしゃると申しておりました。そんな方々なら、無意味な暴力をふるうようなことはなさらないでしょう。」
一瞬の沈黙の後、背の高い男は声を殺して笑い、周囲の男達は戸惑った顔で彼を見たり、互いに顔を見合わせたりした。
少し落ち着くと、背の高い男は、するどい眼光はそのままだが、笑顔でダンカンに言った。
「まったく・・・細君といい、番頭といい、あなたの宿はたいしたものだ。気に入ったよ。」
ダンカンの心臓はマグダレーナの言葉と男の笑いで、再び破裂しそうな程に激しく脈打っていたが、今度は必死でポーカーフェースを保てており、辛うじて落ち着いているかのように聞こえる声で「恐れ入ります」とだけ答えた。
「ありがとうございます。お茶のおかわりは、いかがですか?」マグダレーナが、こちらは本当に落ち着き払った声で、男に尋ねた。
「いただこう。ケーキもなかなかうまそうだからね。こんな夜中にこんなところで、焼きたてのケーキをいただくとは、なかなか酔狂で気持ちがいいね。おまえたちも、おかわりをするなら今のうちだぞ。ほう、このケーキも酒がきいていて、なかなかいけるね。」
男の言葉に「じゃあ、自分も・・・」とおかわりを希望する男も出て、軍服の強面で屈強な男達は、もくもくと、しかしうまそうにケーキを食べた。
ダンカンはその不思議な光景をポーカーフェースのままぼんやりと眺めていたが、はたと気付いて声を上げた。
「申し訳ありません。お酒をお出ししたほうが・・・」
「いいや、こっちの方がごちそうだし、身体も温まる。長居するつもりもないし、どうやらその必要もなさそうだからね。それに・・・」ちらり、と、一番年若い、顔が赤くなっている男を見て「このケーキの酒だけでも酔う奴がいるのでね、恥ずかしながら。」と付け加えたので、ダンカンも、他の男達も、若い男をみてクスリと笑った。
ソースの最後のひとすくいまでたいらげてから、男は改まってダンカンに言った。
「ティムズ・ダンカン。あなたの言葉に虚偽はありませんね。」
「はい。」ダンカンも改まり、神妙な顔で答えた。
「もし偽りがあったときは、この街の者全員、女子供に至るまで、生命の保証はないとお思いください。」
「誓って、嘘はございません。」ダンカンは背筋を伸ばし、自信に満ちた表情で答えた。そして、ふと思いつき、こう付け加えた。
「嘘がないのですから・・・この街の安全は保証していただけますか?」
男は、まるで戦場で敵兵の尋問をしているかのような表情でダンカンを見た。ダンカンは表情を変えず、じっと男を見ている。
不思議なことに、ダンカンの心臓も身体も、ひどく落ち着いていた。嘘は一切言っていない。確かに、パパスの旅の目的も何も知らないのだ。いや、余計な詮索をしなかったからこそ、自分たちの関係は続いていたのだろうし、村にいるわずかな時間にわざわざ顔を出してくれたのは、彼の信頼の証だろう。
ビアンカのことはあるが、それは今、この男が尋ねていることには一切関係ないのだ。何も心配することはない。
男はじっと沈黙していたが、やがてふっと、小さく笑って、言った。
「わかった。あなたが嘘をついていないのなら、この街の安全は、私が保証しよう。」
「隊長!」「しかし、勝手にそんなこと・・・」他の男達はざわめいた。しかし背の高い男が立ち上がると、男達はぴたりと静かになった。背の高い男は、他の男達に向かい、低い声で言った。
「これ以上騒ぎをいたずらに大きくしては、奴らの思うつぼだ。尻拭いをするのは我々なんだぞ。それに・・・」男はダンカンの眼をはばからず続けた。
「武器も持たぬ市民を傷つた奴らの事を、おまえ達は何とも思わんのか?ここは戦場ではない。我々が探しているのは敵兵でもスパイでも、ゲリラでもないんだ。我々は奴らとは違うんだ。」
男達はハッとした表情をした。彼らの空気が変わったのが、ダンカンにもわかった。
背の高い男は、ダンカンの方を向いて言った。
「お時間をとらせて申し訳ない。我々は失礼します。」
「そ、そうですか。では、ご案内します。」ダンカンは立ち上がり、棚の上のベルを鳴らした。すぐに番頭がやってきた。
「お帰りです。ご案内しておくれ」
「はい。」番頭は大きく戸を開けた。
背の高い男は戸の所まで行くと、急に立ち止まり他の男達に「先に行ってくれ。私はご主人にもう少し話がある。」と言った。
番頭はちらりとダンカンを見たが、ダンカンが小さく頷いたので、そのまま戸を閉めて、他の男達と共に去った。


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