「ご主人」男は立ったまま、威圧的にダンカンを見下ろして言った。 「名前も名乗らぬ私の保証など、信用していいのかね?こんな口約束、握りつぶすのは簡単だよ。」 ダンカンは男と張り合おうとはせず、ちょっと顔を上げて男を見て答えた。 「恐れながら・・・」そう言いながらも、その声は全く相手を恐れている様子などなかった。 「あなたさまは、私の申し上げたことを信用してくださいました。そんな方の言葉を、なぜ疑う必要がございましょう。」 男はあの、蛇のような眼をしてじっとダンカンの言葉を聞いている。 「例えお名前をい、何かあったときに、他の方にこれこれこういう方がこうおっしゃったと言ったところで、相手の方がそんな者は知らんと言えばそれまでです。わたくしは、あなたさまが信用できる方だと思いました。自分のカンと、例え口約束でもあなたさまの言葉以上に信頼できるものがあるとは思いません。」 「ほう、ご自分のカンは、そんなに信じられるとお思いか。」 「私は商人です。貧乏な行商から、ここまで来られましたのは、正直な商いと自分のカンを信じてきたからだと思います。戦士様なら・・・」 ダンカンは兵士や兵隊という言葉ではなく、会えて彼を”戦士”と呼んだ。 「このことを、おわかりいただけるかと思います。」 男は鋭い、スキのない眼光のままであったが、その空気はいくらか和らいだ様であった。 「商人のカンとは、実はカンではなく、多くの情報と緻密な分析のことだからな・・・まぁ、いい。先ほど、私が部下に言ったことに、興味はないのか?」 「わたくしは宿屋の主人です。お客さまの内分のご事情に余計な口を挟まないことが、お客さまに心地よく過ごしていただくコツであり、トラブルから自分の身を守ることにもなると思っております。それに・・・」 「それに?」 「これは、宿屋経営の基本かと存じます。」 ダンカンはまじめくさった顔で、わざと先ほどと同じ口調で言った。男は今度は大声で笑った。 「ティムズ・ダンカン、あんたが一番くわせものだよ」まだ笑いながら男が言った。 ダンカンはまじめくさった表情のまま、「恐れ入ります。」と答えた。 薄暗い廊下を、二人はランプも持たず歩いた。宿をぐるりと回り込む廊下は、男達が来たときは真っ暗であったが、今は要所要所にあるランプに灯りがともされていた。 闇の中にぽつり、ぽつりと浮かぶ小さな火は、すきま風に煽られてゆらぎ、今にも闇に飲み込まれてしまいそうで、はかなげで、あやうかった。外の雨はいっそう激しく窓や壁に打ち付けていたが、廊下を包む闇はその音さえも飲み込んでしまったかのようであった。 まるで闇ははてしなく広がっていっている様で、ダンカンは心の中で、この廊下はこんなに長かっただろうか、と思った。このまま自分も、深い、邪悪な闇の中へ迷い込んでしまいそうだ。 かすかだが、玄関にいる男達とマグダレーナの声が聞こえてきた時、ダンカンは心の底からほっとした。 一緒に歩いていた男も、同じ気持ちだったのかもしれない。ここまで来て、小さな声でダンカンに尋ねた。 「この街の教会に・・・若い、牧師がきてるかね?」 「は?」ダンカンは、何を聞かれているのかすぐにはわからず、立ち止まった。 「あ、いや・・・いい。何でもないんだ。」 数歩先に行ってしまった男は振り返り、言った。廊下の小さな灯りが逆光になって表情はわからなかったが、男の声は明らかに動揺していた。 若い牧師・・・ラインハットの軍の男・・・あの笑顔・・・ ダンカンの頭の中で、何かがつながった。 「はい、いらっしゃいます。最近ラインハットからいらした、学校をお出になったばかりの若い牧師様が。」 「いや、あの、いいんだ、別に・・・」 しかしダンカンは男の言うことを無視し、小さな声で続けた。 「街の者の言うことを親身になって聞いてくださる、とてもお優しい方ですよ。子供達もよくなついています。先日初めて、みんなの前でお説教なさったんです。まだちょっとお間違えになったり、たどたどしいところもありましたが、とてもいいお説教でした。街の者はみんな、大好きです。それに・・・今回の件でも、私たちと一緒に、とても一生懸命になってくださいました。」 男の肩がぴくりと動いた。男にとって、この暗がりは幸いであろう。 「ラインハットの動きをとても冷静に、細かく分析してくださいました。この街に、サンタローズの様には攻め込んでこないだろうということも予想してくださった。だからあたしたちも落ち着くことができました。この街の守衛長は以前傭兵をやっていたのですが、牧師様はとてもよい兵になるだろうと言っていましたよ。でも、牧師様は自分の選択は間違っていないと、牧師であることに誇りを持っているとおっしゃっていました。毎日楽しそうに、いっしょうけんめいお仕事をしていらっしゃいます。」 男は、初めて聞く優しい声で、「そうですか」とつぶやいた。 「なにか、お言付けがございますか?」 「いいえ。」そして男は、慌てて付け加えた。「あの、この話はその・・・」 「お客さまの秘密は、口外いたしません。これも・・・」 「宿屋経営の基本、ですか?」 「さようでございます。」 逆光でも男が、クスリと笑っているのがわかった。 男は少し腰をかがめると、小さな声でダンカンに言った。 「私の名はウォリー・シッラ。何かあったら連絡をよこしなさい。どうすればいいのかは、わかりますね。」と言った。 ダンカンは短く「はい」とだけ答えた そして二人はそれ以上何も言わず、玄関へと向かった。 |
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