「あれは確か、坊ちゃんが3つの時でした。」 「3歳?そんな小さいとき?」 「さようでございます。おちいさくて、かわいらしい時期でした。旦那様が旅に出ることになって、坊ちゃんと私と3人で、買い出しの為にアルカパに行ったんです。そのときに、その、あたしがうっかり、腰を痛めまして・・・」 「ぎっくり腰?」 「・・・さようでございます」 「サンチョがぎっくり腰って、どんな重い物を持ったの?」 「いいえ、確か、それが重いと思っていたら、空っぽだったので、こう、よけいな力がかかって、ぐきっと・・・」 「へえ、軽い物でもなるんだ」 「そんな話は、関係ないんですよ」サンチョは、そのまん丸な顔を赤らめ、不機嫌そうに答えた。 「旦那様は出発を急いでおいででしたし、まだ坊ちゃんはおちいさかったので、旦那様一人で連れていくのは無理だしで、二人で途方に暮れておりましたところに、ちょうどダンカンさんが通りかかりましてね、事情を察して、あたしの腰がよくなるまで、あたしと坊ちゃんを預かろうと言ってくださったんです。旦那様は最初遠慮しておいでだったのですが、なにしろお急ぎだったのと、他によい考えが無かったので、ダンカンさんのお言葉に甘えることにしたんですよ。 ダンカンの宿屋はこの頃既に繁盛しており、十分な従業員を抱えてはいたが、お客もまた十分すぎるくらいだったので、ダンカンも妻のマグダレーナも暇ではなかった。 「なに、心配いらないよ」マグダレーナは気持ちの良い笑顔で心配顔のサンチョに言った。 「あたしがビアンカの年頃の時分には、もう小さい弟や妹の面倒を見ていたんだからね。ビアンカにだってリュカちゃんの面倒くらい見られるよ。 一人っ子で甘やかして育てちまったからね。兄弟ができるのは、ビアンカにとっていい経験さね。たぶんリュカちゃんにもね。」 そして、思わぬ客人にはしゃいているビアンカを捕まえ、椅子に座らせると、自分は床に膝をつき、ビアンカと目線をあわせてゆっくりしゃべった。 「いいかい、ビアンカ。少しの間だけど、サンチョさんはおまえのお客人で、リュカタンはおまえの弟になるんだよ」 「はい」 ビアンカは神妙な面もちで、かわいいおさげを振り回すように大きく頷いた。母親がこんな風に話すときは、とても大切な話であることをビアンカは知っていた。 「おまえもダンカンの娘だ。お客さまのもてなし方は知っているね。サンチョさんのお食事の準備を手伝って、シーツをきれいにして、お部屋も心地よくなるよう気を配って差し上げるんだよ。」 「はい、母さん」 サンチョは、ビアンカの真剣な様子が何ともかわいらしく、そして、ちょっとおかしかったので、笑いそうになるのを必死でこらえていた。パパスは無言でいたが、おそらくサンチョと同じ事を考えていたのだろう。お茶の減りが妙に早かった。 「それから、リュカちゃんの面倒もおまえがみなけりゃいけないよ。あたしも父さんも、宿のこととお前の面倒をみるので手一杯だからね。遊んでいるとき危なくないように見ていてあげたり、一緒にお風呂に入ったり、夜もお前が寝かしつけてあげなけりゃいけないよ。」 「大丈夫、ちゃんとできるわ」 「外に遊びに出たとき、リュカちゃんを一人置いて、自分だけどこかに行ってしまったり、危ないところや村の外に連れて行ってはいけないよ。あんたはリュカちゃんのお姉ちゃんなんだからね。」 お姉ちゃんと言われて、ビアンカは緊張し、背筋を伸ばした。 マグダレーナはわざと不安げな表情をして、まじめな顔をしようと努力した結果、しごく妙な表情になっているサンチョと、無言のパパスにむかって尋ねた。 「この子に任せてもよろしいでしょうかね?」 「大丈夫!ちゃんとできます!」 ビアンカは大きな声で言うと、椅子から飛び降りてパパスの前に行き、その大きくたくましい手に自分の小さな手を乗せて言った。 「大丈夫です。ね?おじさま?」 「そうだね、ビアンカになら、リュカを任せても心配ないだろう。」パパスは湯飲みをテーブルに置くと、ビアンカの得意げに振り上げた頭をそっとなでた。 |
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