白薔薇の娘

<白薔薇の娘 4話>
ルドマンの船に来た最初の日、フローラは疲れきっていた。急激な環境の変化と初めて会うたくさんの大人達、生まれて初めての船、そして昨夜あまり寝ていなかったこともあり、夕飯の席ではろくに食べないうちに、こくりこくりと船をこぎだした。
メイドに連れられ、部屋に戻る頃にはほとんど起きていられず、着替えもそこそこにベッドに潜り込んだ。フローラのその小さな身体は疲れきっていたが、心はまだ興奮したままだったので、ベッドにはいってすぐに、フローラは夢を見ていた。

フローラは、口数が少なくおとなしい子供であったが、決して内気とか引っ込み思案なわけではない。子供らしい快活さや好奇心を持っていたし、行動についてはむしろ活発な方であった。施設の年上の男の子達に混じって森の奥まで行ってしまい、疲れ果てておんぶしてもらって帰ってきたり、森の木に登って降りられなくなり、通りがかった村人に助けてもらったこともあった。部屋の中でおままごとをしているより、海岸の岩場でかにを追いかけたり、修道院のある丘で、野リスの家を探したり、沈む夕日をいつまでも眺めている方が好きだった。村の畑仕事のお手伝いも、他の女の子達はミミズや芋虫を掘り当てると大騒ぎしていたが、フローラはその小さな生き物たちにむしろ親しみを持ち、そっとつまみ上げて畑の端の軟らかい土に返してやるのだった。
村と海の間には防風林があったが、修道院のある丘はそのままなだらかに海に下り、岩場と小さな砂浜を作り、海へと続いていた。村のはずれにある施設にはいつも海からの風で潮の香りが満ちており、フローラが森や村や、修道院の丘で遊び回るときはいつも、潮風が彼女の柔らかな浅葱色の髪をなで、優しい潮騒は彼女を見守り、夜は子守歌となって彼女を包んだ。
修道院のある丘の上から、フローラは夕日を見つめていた。天上も雲も地上も、世界中を黄金色に染め上げた夕日は、ゆっくりと両手を広げるようにして海に触れ、そして溶けていく。しかし西の空からは、森の向こうに潜んでいた闇が、まるで夕日を追うように森を、空を闇に染めていく。その触手は修道院と丘も包み込み、フローラの足下まで忍び寄る。フローラは一生懸命逃げた。丘を転がるように走り降りる。しかし丘の先は切り立った岸壁になっていて、既に闇に染まった海が恐ろしい高波を上げて岸壁を削る。フローラは逃げ場を失った。フローラは身を固め、ギュッと目をつぶる。

闇が世界を覆い、静寂の中で波の音だけが響く。
フローラは、おそるおそるそっと目を開いた。

そこは、闇に包まれていた。しかし、見慣れた森も海も、修道院の丘もなく、目の前にあるのは高い天井であった。そっと辺りを見回すと、がらんとした、真っ暗な広い部屋だった。いや、完全な闇ではない。天上から壁を走り、床を通ってフローラの布団の上へと、一筋の薄い、わずかな光がちらちらと揺れている。フローラが光の元を探すと、それはベッドの側にある窓にかかったカーテンの、わずかな隙間からもれてくる光だった。

フローラはもう一度ゆっくりと、部屋の中を見回した。あるはずの二段ベッドの上の段はなく、隣のベッドにもぐっているはずの友達もいない。聞き慣れたいびきも、寝言も聞こえない。がらんとした広い部屋に衣装タンスがならび、窓際にしつらえられた大きなベッドに自分一人で寝ていて、それだけだ。フローラは身震いし、布団に潜り込んだ。
 −−−そうだ、お船に乗っていたんだ・・・
ようやくフローラは思い出し、布団の隙間から外をのぞいた。
部屋の中はしんと静まり、波音だけが聞こえる。背中がぞくぞくっとした。
フローラは布団をかぶりなおす。しかし、少し考えてから、思い切って起きあがった。
ベッドの上にひざまずき、カーテンに手を伸ばす。しばしためらい、そして一気にカーテンを開けた。

窓の外には、夜の海が広がっていた。
海面は一面に銀色で、ところどころ波がちらちらと輝きながら踊っている。海はどこまでも続き、フローラの見えない遠くで空と溶け合い、そこから上は、波のしずくが空に散って、そのままそこに住み着いてしまったような光が輝き、高いところにうすい三日月が、まるでなにかを釣ろうとしているような姿で浮かんでいた。
その静かで美しい風景に、フローラは息を呑んだ。
本当はこの美しい海の中には多くの恐ろしい魔物が潜んでおり、スキあらばと船を狙っていたのだが、フローラはそんなことは知らず、ただただ美しさに見とれていた。
 −−−よかった。真っ暗になったんじゃないんだ。
安心したフローラは、海の彼方、もっと遠くを見ようとした。しかし、どんなに目を凝らしても、ただ広がる海が見えるばかりだ。あの丘も、村も見つけられない。
 −−−みんなは今頃どうしてるだろう
フローラは、施設での自分の部屋を思い出した。おなかの奥で、なにかがきゅっとなる感じがした。こんなに遠くまで来ては、もう帰れない。フローラの目に涙が浮かんできた。フローラは慌てて布団に潜り込むと、ぎゅっと歯を食いしばった。いけないと思うのに、どんどん涙がこぼれてくる。
 −−−誰もいないから、いいよね
フローラは顔を枕に押しつけると、そっと泣いた。
布団にすっぽり潜り込んでいたフローラは、部屋のドアがそっと閉じたことに気づかなかった。

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